日本が好きになる!歴史授業とは?– category –
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「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」15(授業づくりのなかで11 ここでいったんジ・ENDにします)
ぼんやりしたテーマで書き始めて、あっちこっちしてきてしまいましたが、ようやく自分が考えていたこと&考えていることが少しずつですが見えてきたような気がします。この後は各論になると思いますので、大きな風呂敷を広げたまま来てしまったこの連載を... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」14 (授業づくりのなかで10 その後のいくつか)
武力において圧倒的だったにもかかわらず、源頼朝が天皇から征夷大将軍に任命されて幕府を開く道を選んだことを知ると、それまでの議論は置いて子供たちはなぜかとても喜びます。多くの子供たちは喧嘩が強いやつがイチバン!みたいな思想を好みません。ま... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」13 (授業づくりのなかで 9 頼朝の授業まで)
乙巳の変で蘇我宗本家は倒れました。実際に蘇我氏に皇位簒奪(易姓革命)の意思があったかどうかは確証はありませんが、授業は日本書紀の記述に従って教材化しました。中大兄皇子と中臣鎌足らによるクーデターが成功して「天皇中心の国」という聖徳太子の... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」12(授業づくりのなかで 8 大化の改新の授業・排除の思想と共存の思想)
戦前の教科書の乙巳の変の記述はこんな感じです。明治44年(1911年)版「尋常小学校日本歴史」です。余談ですがまだこの時代は「日本歴史」ですね。 (注)明治33年制定の小学校令は、当初教科目名を日本歴史としていた。 しかし、大正9年からの国定教... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」11(授業づくりのなかで 7)
「文科省がそんな立派な「目標」を書いているのにそれをスルーさせているのはなぜですか?」 という質問をいただきました。素晴らしいご質問です!ズバリ言うとお役人たちは「国を愛する心情」や日本人としての誇りを育てることに賛成していないからだと思... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」10(授業づくりのなかで 6)
「日本が好きになる!歴史全授業」は文科省学習指導要領に準拠してつくることを基本としてきました。現役の小学校教員だったからです。何よりもまず自分の仕事をより楽しく実りあるものにするためにつくってきました。公務員ですから教育基本法以下の法令... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」9(授業づくりのなかで 5)
無計画に書き始めたものが長くなっている。歩きながら考えるタイプなのでやむをえない。「皇国史観」についてはやっぱり考えておかなくてはいけません。でも簡単ではない。なのでこのまま進みます。 聖徳太子の授業を3つつくって試し授業もやって子供たち... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」8(授業づくりのなかで 4)
青年時代の聖徳太子は仏教礼賛でありチャイナの漢字文明への強い憧憬を抱いていた。 二十歳で推古天皇の皇太子・摂政になってすぐにやったのは「仏教興隆の詔」だった。掘っ立て柱建築しかなかった飛鳥や畿内に仏教伽藍が建てられていく。柱は頑丈な石の上... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」7(授業づくりのなかで 3)
縄文と弥生はまあ仕方がないとしても、「古墳時代」というのはどうなんだろう。古墳時代を箸墓古墳から始めるけれど、その前にも円墳・方墳その他の多様な古墳の時代があった。弥生の墳丘墓はどうなのか? 始まりだけじゃない。飛鳥時代だってまだ古墳の... -
「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」6(授業づくりのなかで 2)
古墳時代 「古墳時代」で大和朝廷(王権)による日本統一を教えます。 むかしは「大和時代」でしたが古事記・日本書紀の歴史は教えないのが戦後教育の縛りになっているので、考古学名称である「古墳時代」が採用されています。「大和時代」のほうが時代の...
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