明治期陸軍支那通の代表は、青木宣純、柴五郎、小澤かつ郎です。
彼らの「東亜保全」という考え方は、
西洋列強の圧迫に対抗するには、
東洋諸国(とりわけ、支那と朝鮮)が提携協力しなければならない
というものでした。
これは明治の指導者たちに共通の思想です。
しかし、支那も朝鮮もまったく頼りになりません。
だから、福沢諭吉の脱亜論が出てきます。
日本は自力で列強に追いつき彼らと対等につきあうようにしよう。
そのためには、列強のルール(国際法の世界秩序)に従うほかない。
しかし、支那通はこう考えるようになります。
欧米列強の侵略の脅威を前にして、
東洋諸国は提携同盟すべきなのに、
隣の清韓両国とも老朽化して自力で独立をまっとうする意志を欠き、
このままでは侵略の餌食になってしまいかねない。
したがって、
日本はあえて隣国の覚醒をうながし、
その改革を指導していくか、
そうでなければ、
進んで隣国に勢力を扶植して列強の機先を制すべきである。
(戸部良一『日本陸軍と中国』)
辛亥革命後の「戦国時代」のなかで、
支那通軍人は、国民党に共感し支援する者と、
北の軍閥を通して中国統一をめざす者とに分かれていきます。
しかし、彼らも当然のことながら、
日露戦争で得た満州の権益は守らなければなりません。
日本はどこで切っても、
列強の一員であり、かつ、アジアの一員でした。
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