わが国の歴史を虚心坦懐にたどれば「日本は天皇だ」あるいは「天皇は日本だ」になるのだが、蘇我氏は「わがまま」で「無道」だから中大兄皇子や中臣鎌足によって滅ぼされたというふうに歴史を物語るのはどうなんだろう?という?マークがともりました。
以下、もう少し引用します。(『復刻版 初等科國史〔昭和18年版〕』ハート出版)
「思い上がった清盛は、勢いの盛んなのに任せて、しだいにわがままをふるうようになり・・・」
「ただ長男の重盛だけは、忠義の心があつく、職務にもまじめな人で、平家が栄えるのも、まったく皇室の御恵みによるものであることを、よくわきまえていました」
「頼朝は・・・つねに朝廷を尊び、仏をあがめ、武をねることをすすめ、特に剛健な気風を養って、いざという場合にそなえさせました」
北条義時は「腹黒い」・「勝手な振る舞い」・「恐れ多くも後鳥羽上皇を始め土御門上皇・順徳上皇御三方をそれぞれ隠岐・佐渡へうつしたてまつりました」「まことに、わが国始まって以来、臣下として無道きわまるふるまいです」
「その後北条氏は、泰時・頼時が、ともに身をつつしみ、政治にはげんで、義時の罪をつぐなうことに努めました」
・・・
という感じで「いいやつ」と「わるいやつ」が明確です。
「わがまま」とかの人間性の善し悪しもありますが、やはり究極の価値基準は「天皇の臣下として忠義があるか、無道であるか」ということです。
とりあえず昭和初期から戦時下の皇国史観歴史教科書はここがポイントで、最重要点のようだと理解することにしました。歴史上の人物を天皇に忠義であるか、無道・逆臣・逆賊であるか・・・に分けて学習者に忠臣への共感的理解を求めることです。また不忠な逆臣への否定的な理解でもあります。
日本は天皇の國ですから、この歴史観は十分に理解できます。
今思えばまだ浅かったと思いますが、これが皇国史観の神髄だなと思いました。
それで直感的なものですが、こういう授業はちょっとやりたくないなと思いました。
まず「なんだか金太郎飴みたいでちょっとつまらないなあ」でした。
人間観もかなり平板でリアリティがない感じがしました。
またこれは国が定める特定の歴史観に全員の子供たちに従わせようという意味では、皇国史観教育はいま戦いを始めた自虐史観(日本は悪い国だ)教育と似ていると思えました。
天皇の忠臣は正義であり天皇に敵対した側は悪であるという歴史観ですね。
まあ理屈はどうとでも言えそうですが、なんとなくこういう歴史教育はちょっと抵抗があるなあというのが出発点でした。
その後、皇国史観についても少し勉強するようになり、教科書も明治・大正・昭和の教科書とこの昭和18年版(4月山本五十六戦死、5月アッツ島玉砕)は内容も文体も少し変わっていることも知りました。
そしていまは「こういうしみじみとした格調高い文体で、天皇と忠臣のすばらしさやかっこよさが伝われば、クラス全員がすなおに天皇陛下の忠臣(少国民)になるだろうな。『この過酷な戦争を最後まで戦い抜くぞ!』という強い気持ちになれたのだろうな」と考えています。
それで、いまが昭和18年だったらこの教科書で教えたかっただろうなとも思います。
もうひとつ。ぼくがやってきてしまったことは直らないが、小学校は「皇国史観」で授業を行って標準的な「天皇への敬愛の念」を育てた上で、「日本が好きになる!歴史全授業」は中学以後で展開するという考え方もあるでしょう。
今後の課題とします。
(つづく)
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