あの頃考えていたことを思い出しながら書いています。
後で考えたことも混じってきます。
「天皇を教える」の(その5)は「大化の改新」の「蘇我氏は悪いやつなのか?」問題です。
これがたぶんぼくの「皇国史観」問題との最初の出会いでした。
反GHQ史観ならばとりあえず皇国史観をなぞればいいかという思いと、「自由主義史観(左右の全体主義批判)」を掲げている以上何かが違うことになるだろうなという思いが、両方あって、要するに勉強が足りない状態でした。
皇国史観って何?・・・だったわけです。
「蘇我氏が前にもましてわがまま(土地人民を勝手に使うなど)をふるったからです」
「蝦夷・入鹿と代を重ねて、・・・そのわがままはつのる一方です」
「蝦夷は生前に自分たち親子の墓をつくってこれを陵とよび、入鹿はその邸を宮といい、子たちを王子と称しました」
「夏草のようにはびこった無道の蘇我氏はこうしてついに滅びました」
(『復刻版 初等科国史(昭和18年)』ハート出版)
(『復刻版 初等科国史(昭和18年)』ハート出版)
蘇我氏はわが国に仏教(シナの漢字文化)を導入した恩人です。聖徳太子の母親は蘇我馬子の娘です。推古天皇の母親も同じです。「わがまま」だからと、それほど由緒ある実力者の一族を滅ぼしてしまうものでしょうか。
たぶん昭和初期の少国民たちは教養があるので「陵(みささぎ)」「宮(みや)」「王子(みこ)」が皇族にしか使えない言葉であることを知っていたのでしょう。
さては皇位簒奪か!
とわかればこれほどの「無道」はいないわけですから「一族まるごと滅ぼしてしまえ!」と共感して読んだのでしょう。
もちろんこのストーリーで授業をつくってもいいのですが、ちょっと引っかかるものがありました。
(つづく)
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