足利義政と室町文化



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足利義政と室町文化
●8代将軍足利義政と室町文化を教えます。和の文化、和の美の原点は室町文化です。そして、世界のどの文明にあっても、美の創造と継承のためには有能なパトロンが欠かせません。この2つが、統治には限りなく無関心だった足利義政を教える理由だと思います。
●「おぜんの上の室町時代生まれ」は、北海道の広田先生から教えていただきました。

1 金閣と銀閣
*写真「銀閣」を見せる。となりに写真「金閣」も貼る。
銀閣
金閣

〈住むならどっちですか?〉

*挙手させて人数分布をとり、その気持ち(理由)を言わせる。

【解説】銀閣は「しぶくて落ち着く」、金閣は「なんといってもゴーカ!」。だいたいいこんな感じの反応になる。どちらかといえば銀閣派のほうが多い。

*金閣は、足利義満が建てたと前回学んだ。
北山文化。
義満が育てた世阿弥、世阿弥が完成した能は、日本の演劇の始まりであり、現在も日本の舞台芸術の極北であることを、(わからなくてもいいから)教える。
できれば動画があるといい。
能面も見せたい。これは下手なレプリカではなく本物の写真のほうが迫力が伝わる。

2 足利義政と東山文化

*足利義政の肖像を貼る
足利義政

この人物が銀閣を建てた室町幕府の8代目の将軍です。

〈足利義満とくらべて、足利義政はどんな人物だったでしょうか?〉

*列指名で、写真を見た印象を発表させる。

*プリント「足利義政」を読む。


足利義政(あしかがよしまさ)8代将軍

 足利義政が8代目の将軍になったのはわずか13歳のときでした。将軍とは名ばかりで、実際の政治はまわりの実力者がやっていました。
1467年、義政が30歳をこえたころ、京の都で戦争が始まりました。それは次の将軍を誰にするかという跡継争いが原因でした。

 義政は子が生まれなかったので、弟の義視に将軍をゆずると約束していました。ところがその約束をしたとたんに男の子が生まれたのです。
 義政はどっちでもよかったみたいですが、奥さんの富子は、
「そんな約束なんてどうだっていいでしょ。将軍の子が将軍になるのはあったりまえよ!」とがんばります。
 そんなことで、ついに戦争になりました。まわりは敵味方に分かれて戦いましたが、義政は無関心です。
「まさか将軍の私まで殺しには来ないだろう」と戦いが終わるまで待っていたそうです。

 戦争は十年も続き、国の都である京都は焼け野原になってしまいました。
 この戦争を応仁の乱といいいます。
 結果は義政の子義尚が十歳で将軍になりました。
 義政は父として今度こそ幼い将軍のめんどうをみて、実際の政治を進める立場でしたが、やっぱりやる気がありません。それどころか、そのわずらわしさから家出してしまったこともあるくらいでした。その時は天皇にしかられてもどってきたそうです。

 この家出の本当の原因は奥さんの富子が口うるさかったから、という説があります。
 もし本当だったら、奥さんが口うるさいから家出した将軍さまなんて、たぶん日本の歴史の中でこの人くらいでしょう。

 足利義満とは正反対の人物という感じですね。
 どうしてこんな武士としてはちょっとたよりないような人物が、歴史上の人物42人のの代表の一人になっているのでしょうか?

 足利義政は政治は人まかせでしたが、日本の文化にとっては大恩人なのです。
 京都の東山に別荘を建てて、そこに当時の文化人を集めて育てました。この義政が育てた文化を東山文化といいます。それは平安時代から続いた京都の貴族たちの文化(上品さ)と、鎌倉時代の武士の文化(力づよさ)をミックスした新しい文化でした。

銀閣は、後の時代の人が「義政は義満とは正反対で、しぶい味わいが好みだったので銀をはろうとしたが、義満ほどお金がなかったからそのままになってしまった」とうわさしたためについたあだ名です。しかし、実際は義政には銀をはるつもりもなかったようです。義政は自然の味わいを生かした、しぶく落ち着きのあるこの建物こそ好みだったのです。そして、この銀閣のような「落ち着き・しぶみ・味わいの深さ」は、日本らしい文化の伝統になりました。やがて「わび」「さび」といわれることになる日本文化の本流です。


『利義政は権力者としては頼りない人物でしたが、日本らしい文化を育てるリーダーとしては、自分の主張をしっかり持っていた人物だったといえるでしょう』

3 日本らしい文化の始まり

*プリント「おぜんの上の室町時代生まれ」をやる。


◆室町時代は、今に残る日本らしい文化が始まった時代でした。
「タケオくんは旅行先で旅館にとまりました。左の絵は夕飯のようすです。
おぜんの上にならべられたものの中には、室町時代生まれのものが6つあります。
6つに○をつけてみましょう」
File0175.jpg


*絵を指示しながら、○をつけた者に挙手させていく。

【解答】まんじゅう・さしみ・うどん・しょうゆ・みそ汁・たいたごはん(それまでは蒸した)。
    ■梅干しは鎌倉武士の携行食、かぼちゃは信長秀吉の頃、南蛮船が運んだ。

〈おぜんの上以外に、日本らしい文化といえるものがあります。発表しましょう〉

*児童は、生け花と和室を見つける。

*以下、写真を見せながら解説していく(資料集など)。

 1 日本間の始まり・・・・・銀閣東求堂の書院づくり(畳敷き・床の間、障子、襖)

2 茶の湯と立花・・・・・・日本といえば茶道、日本といえば華道、の始まり。

 3 墨絵・・・・・雪舟「秋冬山水図」、「雪舟のネズミ」の話をしよう。

 4 おとぎ草子(一寸法師、浦島太郎、桃太郎、舌切り雀、ものぐさ太郎など)

 5 地域にある神社・夏祭り・ぼんおどり・・・・・・村の守り神としての神社

4 まとめ

『いま受けつがれている日本らしい文化は、もとをたどればそのほとんどが室町時代の北山文化や東山文化に始まったものです。
2人の室町幕府の将軍は、みなさんにはいまいち人気がなかったけれど、日本らしい文化を育てた文化のリーダーとしてとてもよい仕事をしたといえるのです。
さて、プリントに出てきた応仁の乱は戦国時代の始まりです。次回は戦国時代について勉強しましょう』

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

コメント

コメント一覧 (3件)

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    はじめまして。
    6年生の担任をしています。
    齋藤先生のブログからネタをいただきながら授業をしています。
    教科書や資料集には載っていない話題に子どもたちは興味を持って学習しています。
    今後も参考にさせていただきます。
    ちなみに「家出をした将軍 義政」には子供たちもびっくりでした。

  • SECRET: 1
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    こんにちわ。
    そして、はじめまして。
    私は、小6女子です。
    私は、歴史が大好きで自主勉強のネタを探しているときに
    「織田信長」
    と、検索したらこのブログを見つけました!
    小学校の授業で教えてもらえない事も書いてありました[絵文字:v-238]

    ありがとうございます。

  • SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    こんにちは。
    歴史が好きな小6女子さま。
    見てもらえて感激です。
    ありがとう。

    ぜひまた寄ってください。
    またコメントしもらえたらうれしいです。

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