★これは船橋市立船橋小学校校長渡邉尚久さんの講話です。Facebookの投稿からいただきました。
★祝祭日の意義については小中学校で指導することになっています。全国の校長先生はどうぞ参考にしてください。
【国民の祝日:春分の日(春季皇霊祭)】3月20日
もうすぐ春分の日です。もともとは春季皇霊祭。やはり、元に戻すべきです。小学校高学年くらいなら、これくらいのことは伝えてあげましょう。参考にあれば幸いです。
(ここから)
3月にも国民の祝日があります。何日で何の日か、わかりますか。
答えは20日で「春分の日」。
自然をたたえ、生物をいつくしむ日となっています。
この春分というのは、二十四節気の一つです。二十四節気とは、一年を24に分け、季節の移り変わりがわかるようにしたものです。(※場合によっては、二十四節気については別途指導)
昼と夜の長さがほぼ同じになり、この日を境に昼間の時間が長くなっていきます。
春分の日を中日(ちゅうにち)とし、その前後3日間、計7日間を春の彼岸と言います。(今年は3月17日から23日までだね)よくお彼岸っていうけど、そのことです。秋には秋分の日、というのもありますが、基本的には同じことです。
「暑さ寒さも彼岸まで」、なんて言葉があるように、この頃は、季節が急に移り変わる時期。しかも、米作りで生きてきた日本人には、苗代づくりや稲刈りの目安にもなる大事な節目だったわけです。
日本にはこの春と秋のお彼岸という節目に、ご先祖様の墓参りをする(仏教の)行事があります。といっても、この行事、日本ならではの行事なんです。
では、なぜ、お彼岸にご先祖様の墓参りをするのか。
日本人はもともと太陽を大事にしてきましたから、太陽が真東から昇り、真西に沈む日を経験的に特別な日だと感じていたのでしょう。
そんな日本人の感覚と、西の方向にある彼岸、つまり、あの世と真西はつながりやすいと考えられている仏教の教えとが合わさり、ご先祖様を供養し、墓参りをするという習慣が育まれていったようです。
ちなみに、今から1200年前に出された『日本後記』という書物を紐解くと「天皇の皇子(みこ)のために、春分・秋分を中心とした7日間、お経を読ませた」と書かれており、1200年前の平安時代にはすでに、春分・秋分の日が意識されていたことがわかります。
では、お彼岸には何をして過ごすべきでしょうか。
やはり、ご先祖様のお墓参りでしょうし、自分のこれからを考えることができれば、それはきっと有意義なものになるでしょう。もし、お墓参りができなくても、無理のない範囲で、自宅で手を合わせるだけでも、ご先祖様はきっと喜んでくれるでしょう。
ちなみに、お彼岸に必要なものといえばお供え物。
お供えといえば、おはぎとぼたもち。この違い、わかりますか。
実は基本的には同じです。一説には、萩(はぎ)の花は秋に咲くから秋の彼岸は「お萩」、牡丹(ぼたん)は春に咲くから「牡丹餅(ぼたもち)」と呼び分けるとも言われています。
また、小豆の収穫時期の違いもあります。
秋は収穫したばかりの小豆が使えて、皮まで柔らかく食べられることから、皮も一緒に炊いた「つぶあん」。春は、一冬越した小豆の皮が硬いため、皮を除いた「こしあん」を味わうのがツウ!なんです。
さらにお餅は昔から特別な力を持つ食事として特別な日に用意されてきました。
同じく小豆も、赤い色には邪を払う不思議な力があると考えられ、縁起の良い食べ物として好まれてきました。
おはぎはお正月のお餅と違って、もち米とうるち米を蒸して丸めればできあがりだし、小豆は煮るだけでくずれて粉になり、砂糖を混ぜてこねればあんこにすることができたので、各家庭でも簡単に作れ、折に触れてお供え物に利用されてきたのです。
私たちの生活に根付いた「お彼岸」。日本の気候風土が育んできた行事であることがわかります。
さて、日本人は、「人もまた、自然の一部である。」という世界観のもとに、自然に優しく抱かれながら、山川草木はもとより、すべての生きとし生けるものと共に、生活をしてきた民族です。
だから、春分の日が「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」だと言われれば、「へえ~、そうなんだ」と納得してしまいそうですが、なぜ、お彼岸の日にこの意味なんだろうと思えば思えなくもありません。
そこで、この奥にはもっと何かあるのではないかと思い、調べてみました。すると、驚くべきことがわかってきたのです。
これを見てください。何か気が付きましたか。
・紀 元 節⇒(空白)⇒建国記念の日
・春季皇霊祭⇒春分の日
・秋季皇霊祭⇒秋分の日
・新 嘗 祭⇒勤労感謝の日
例えば、春分の日は、もともと「春季皇霊祭」という日でした。
どんな日かというと、毎年、春分の日に、宮中の皇霊殿で天皇陛下が歴代天皇のご先祖様の霊を祭る日でした。天皇陛下のご先祖様を祭る式なのですから超重要な日ですよね。なくなるって何?って感じです。
他の例を見ると、2月に説明をした建国記念の日ももともとは『紀元節』という名前でした。他には、新嘗祭が勤労感謝の日に変わっています。
では、なぜ、こんなことが起きたのか。
この祝日の法律が変わった年を見ればわかります。
昭和23年です。
80年前、日本はやむを得ずアメリカと戦争になり、残念ながらアメリカに負けました。日本は戦争に負けたことで、昭和20年8月28日にアメリカ軍が日本に乗り込んできて、昭和27年4月28日までアメリカの占領下におかれました。日本は主権のない状態に置かれていました。祝日の法律が変えられたのはその間でした。
この占領下において、アメリカは日本が再びアメリカの脅威とならないようにするため、日本の脅威を限りなくゼロにすることを目標にした占領政策を始めたのです。
アメリカは、占領していることをいいことに、日本のありとあらゆることを変えていきました。
まず、手をつけたのは「憲法」でした。今の日本国憲法は、アメリカの占領下に置かれている時に、アメリカの意向に沿って昭和22年に作られたものです。(いいんでしょうか)
さらに昭和23年、「国民の祝日に関する法律」も改正され、それまで日本人が持っていた伝統的な祝祭日への意識を一変させられました。もともと、祝日ではなく、祝日と祭日を合わせて「祝祭日」だったのです。
「祝日」は新年や天皇陛下の御生誕日という節目を祝う日で、「祭日」は天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ったり、天皇陛下のご先祖様をお祀りしたりする日で、要は、天皇陛下に関することが祝祭日になっていたわけです。
アメリカは当然、そのことは研究済みです。
そこで、天皇陛下と国民の強いつながりを断つために、祝祭日を否定したのです。
建国記念の日の話を覚えているでしょうか。
アメリカから独立した際には、日本国内では紀元節を復活させろという国民運動が起こりました。時間はかかったのですが、建国記念の日と名称をかえ、今に至ります。
私的な行事とされてしまった春季(秋季)皇霊祭、天皇陛下によって行われていますが、春季皇霊祭は春分の日、秋季皇霊祭は秋分の日はそのままです。いまや、国民運動にさえならない。
それどころか、国民の祝日に関する関心など持っている人を見つける方が難しい。ほとんどの方が、祝日がどんな日か、もともと祝祭日で、本来どんな日であったかわからなくなりつつある。当たり前です。つぶされてから80年近くになるのですから。今や日本国民のほとんどが、自国の歴史や伝統に関心がない。
アメリカは、80年前に今のような日本を思い描いていたのでしょう。今の日本は、アメリカが当時、思い描いた日本そのものです。
有り難く休んでいる今の休日は、本来祝うべき日を廃止されたり、意味を変えられたりした日本にとって屈辱と言える日なのです。
日本の国は今の我々ためだけのためにあるわけではありません。
神話の時代、いや、もっとはるか昔からのご先祖様と、今を生きている我々と、これから生まれてくるであろう未来の日本の子孫の為にあるのです。
もう、いい加減、気づきませんか。知らないふりをするのはやめませんか。
そのためにも、まずは、春分の日をはさんだお彼岸に、自分のご先祖様の墓参りにいきませんか。そして、これからの日本について本気で考えませんか。
牡丹餅でも食べながら。

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