「日本が好きになる!歴史授業』の話いろいろ ③国民を育てる



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①の「導入の授業」の話は歴史授業の教育目標にかかわっています。
ぼくたちは歴史授業で「国民を育てる」ことを大事にしています。
民主主義国日本を支えるのは自分を「国民」と自覚できる日本人だからです。
それがないと民主主義という政治体制は支えられません。

「国民」には自由と責任の両方が求められます。

近代国家にあって、初等中等教育とくに歴史教育は「国民を育てる」という切羽詰まった国家的な要請から始まりました。それまで日本列島に生きていた80~90%の人々は、「低い身分」であり「国家に対する責任」は求められていませんでした。
しかし明治以後の日本はそれでは独立を守れなくなり、近代国家になるために教育制度などを通して「国民」を育成しました。そうして百姓は武士と平等な国民になり場合によっては国のために尽くせる人になりました。

ぼくたちは、この教育の役割「国民を育てる」はいまもなお意味がある、価値があると考えて「自由主義史観研究会」を立ち上げました。戦後教育は「国民を育てない」ことに価値を置き、バブル経済と冷戦崩壊をこえてその考え方がいっそう極端になってきていたからです。

歴史教育のそういう極端化を推進していたのが、左翼&リベラルな勢力でした。
共産党・教員組合・知識階層は、朝日新聞などのメディアを組織してぼくたちを「軍国主義者」と非難しました。「埼玉県に軍国主義の小学校教師がいる。うんぬん」と朝日新聞が書きました。ネットのない時代の情報戦は極めて一方的な(袋叩き的な)ものになりました。

彼らが本気でぼくたちのことを「軍国主義者」と考えていたかどうか、そこまではわかりません。
ただ彼らが、「愛国教育が結果たくさんの教え子を死なせてしまった」という反省から「教え子を二度と戦場に送らない」と誓った先輩教師たちの思いを受け継いだことは確かでした。それは確かにあの戦争を潜り抜けたたくさんの教師たちの正直な思いでした。

しかし、その思いを受け継いできた戦後教育は、大事なことを取りこぼし間違ってしまったと思います。
「教え子を二度と戦場に送らない」ためにはあの戦争を憎ませることが大事だ。
あの戦争をやってしまった日本とご先祖様を否定的にとらえさせることだ。
あの戦争は全部日本のせいだったと教えよう。
日本というのは悪い国なんだと教えよう。

そして戦死した英霊に敬意を払わせてはいけない。
こういうおかしな極端に走ってしまいました。この極端が間違いだったと思います。

彼らの教育目標にはぼくたちと異なり、「国民」という文字がありません。
「国民」になったらいざというときに戦争に行かされるという思考があります。
そこに「個人」または「市民」を育てるという目標が現れます。
自由と平等。基本的人権が教育の主軸になりました。

しかし、ぼくたちは自由・平等。人権を否定したのではありません。
自由・平等・人権という価値はぼくたちもしっかり共有しています。なぜならぼくたちの教育観も「近代日本」の上にあるからです。

彼らが、ぼくたちの近代的な立場を否定して「あいつらは市民的自由や人権を否定する悪い勢力だ」と攻撃したのは間違いでした。
ぼくたちは「自由には責任がともなう」「平等には義務もともなう」という当たり前の常識を回復しようとしていただけなのです。それが近代国家の「国民」です。

彼らにはそれがわからなかったのです。そして「やつらは敵だ、敵は滅ぼせ!」という党派的な行動をとりました。19世紀以来、共産主義の行動指針は「あいつは敵だ。敵は〇〇せ!」だったからです。

「市民は育てるが国民は育てない」
これが戦後社会科教育の信念でした。

その証拠に社会科教育の研究テーマに「国家・国民」という言葉は出てきません。
戦後80年「世界平和を支える世界市民を育てる」と「地域社会を支える自立した個人を育てる」というテーマはくりかえし出てきましたが、「国家を支える国民を育てる」だけは抜け落ちていました。
社会科の先生はいまも「国家」「国民」という言葉が嫌いな方が多いはずです。

ぼくたちはそれではダメだよ、足りないよ、と言っただけなのです。
「軍国主義」などとはまったく関係のない話でした。

「個人」も「市民」も大切ですが「国民」も大切です。
戦後50年、そろそろ「国民を育てる歴史教育」を考えてみませんか。
その心は「自由には責任がともなうこと」「平等には義務がともなうこと」とい当たり前の常識を歴史教育に回復させることです。
それをしないと教育だけではなく国が危ういかもしれないと思っていたのです。
それがぼくたちの歴史授業改革運動の土台にあった考え方でした。

国民を育てるためには少年少女に安心を与える歴史教育が必要です。
教科書の東京裁判史観(自虐史観)には自国の否定と先人への軽蔑がありました。
これでは自国を好きになることはできません。自国が好きになり、自国の歴史への敬意をもち、先人への感謝がなければ、国民になることは出来ません。
「この国に生まれてほんとうによかった」という思いが、子供たちを国民に育てます。
そして「自分はこの日本のかけがえのない一員だ」という安心感(所属意識)が、子供たちの心の成長の土台なのです。

さて、最後に一つのことに触れます。
それは30年前いわれたのは「そういう授業をやっていると、粗野で、頭の悪い、好戦的な子供が育つよ」というとんでもない言いがかりのことです。これはさる大学の教育学の教授でした。似たようなことは新聞などでもよく書かれていました。
小心者はろくな抵抗もできないで「ぼくの授業で育った子どもたちを見るまで死なないでくれよ!」と思っていただけでした。しかし、いまぼくたちは「日本が好きになる!歴史授業」の結果、どんな社会科歴史授業よりもレベルの高い知的で平和を愛する子供たちが育ったと思っています。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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