先日、1995年当時の小学6年生の社会科教科書について、スライド一枚にまとめました。
【注】左の資料(絵)は当時のメジャーな教科書に大きく掲載されていたもので、全国の6年生の多数がこの絵で勉強していました。
中国人の女性が裸にされて柱に縛り付けられています。「鬼のように残酷な日本兵」が右手の短刀でいままさに彼女の右乳房をえぐったところです。血があふれ出しています。日本兵はさらに左の軍靴で彼女の赤ん坊を踏みつけ、赤ん坊は号泣しています。
教科書執筆者たち(左翼教師)の理論はこうでした。「子供たちが恐怖に震えるくらい日本軍の悪・日本の悪を教えるのだ。そうすれば子供たちは戦争を憎むようになり、平和な国をつくれるようになる。これこそが真の平和教育である」
これに文科省も賛成して検定合格を与え、その内容は年を経てどんどんエスカレートしていきました。
1996年には全教科書いっせいに「日本軍の従軍慰安婦(性奴隷)強制連行」が掲載され、全国の中学生がそれを学ぶようになりました。
いくらなんでもこれは酷い!
まともじゃない!
頭がおかしい!
と、私たちは歴史教育改革に立ち上がりました。
まったくの少数派でした。
日本の小中学校は、あらゆる手をつくして、少年少女に次のことを教えるために一生懸命でした。
・日本はとても悪い国で侵略戦争でアジアの国々にひどい迷惑をかけました(ナチスと同じ)。
・日本軍は中国大陸と朝鮮半島と東南アジアで虐殺をくりかえしました(君たちのおじいちゃんです)。
・そういう日本の支配者階級のトップが天皇です。
・国というのは悪いものです。国を憎みましょう。
それは文科省の命令(検定教科書)でそうなっていたのです。
今の人にお話しすると「左翼のせいだね!」とか「GHQのいせいだね!」と言います。
否定はしませんが、そんなことは枝葉です。
教科書がここまでひどくなったのは1980年代からです。中共の歴史情報戦工作が始まったのが70年頃からで、「南京大虐殺」がすべての教科書に書かれるようになったのもそのころからです。
霞が関や政権がそれに従い始めたのがその時代だととらえるのがよいと思います。80年代のバブル期を通してこの流れが極端化していきました。近隣諸国条項など。
政府が外国と国内の左派勢力に負けたのですが、立憲政治なのですから責任は政権(権力を持つもの)にあるととらえたほうがよいのです。また政権ののなかにその勢力が住み着いたのです。
いくらなんでもこれじゃダメだろう。
子供の心は歪んでしまうだろう。
歴史教育を正して子供たちの健康な心を育てよう。
その後30年、藤岡信勝先生たちは「新しい歴史教科書をつくる会」でよりまともな教科書をつくってきました。
ぼくたちは自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)を立ち上げ、よりましな歴史授業をつくって教室で実践してきました。
それからもう、30年もたってしまいましたが、私たちの教科書はなかなか採択されず、授業の改善もトホホな超少数派教師たちに止まっています。
そういう意味では、30年たっても目の覚めるような成果は上がっていませんけれど、それは誰も取り上げてくれないだけで、実際は運動が成し遂げてきたことはけっこう大きいのだと、恥ずかしながら申し上げます。
ここまでの30年で、実は全国で使われる歴史教科書は大きく変わりました。
上に示したような(くそ)フェイク資料は全滅ではありませんが、ほんとうに少なくなりました。
自虐史観と階級闘争史観の2本立ては相変わらず続いていますが、その表現はずいぶんソフトになりました。それは「新しい歴史教科書をつくる会」の手柄です。
まともな歴史授業をやっている教師は数人でしたが、この10年でたぶん500人くらいには増えています。
全体から見れば大海の一滴に過ぎませんが、ゼロよりはましです。
500人の教師の一人が30人を教えたとして、15000 人の子供達が「日本人としての誇り」を胸に、豊かな自己肯定感と共に「国づくりのバトン」を受け継いでいます。一人が100に教えたら50000 人の子供になります。
ま、少ないっちゃ少ないですね。また、運動の成果じゃなくてインターネットの成果だろ?というのも当たっています。
10年続けた「歴史授業講座」を、昨年一年間お休みをもらってゆっくり考えました。
たしかにたいした成果はないけれど、ゼロではないことには意味がある。
先日、小中高校の子供の自殺は、日本が世界一だというニュースを読みました。
なぜ、わが日本の、子たちの、自殺者が、世界一になってんだろう⁉
これは明白な日本の教育の失敗じゃないですか?
そして
歴史授業の改善に取り組んできた私たちには、この失敗の原因のかなりの部分が歴史教育の誤りにある、と考える理由があります。
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