「天皇中心の国」をどう教えるか(1)「大化の改新」



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敗戦によっていわゆる「皇国史観」は否定されました。昭和21年の「新日本建設に関する詔書」はこう書いています。

「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ天皇ヲ以テ現御神(中略)トノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ

戦後の教育はこの詔書を曲解して、天皇も神話も神道もすべて一緒くたに児童生徒の学習内容から追放してしまいました。そのため歴史の中の天皇はほとんど見えなくなり、かつて近代日本の独立を守り発展させたエネルギー源だった国民の物語は消えてしまいました。

昭和天皇の思いを継承したうえで、いわゆるかつての「皇国史観」ではないかたちで、「天皇中心の国」という物語を教育に取り戻すにはどうすればいいのか。

「日本が好きになる!歴史全授業」は、こうした課題に答えようとしたものです。あらましは以下の通りです。

1 建国神話を「大和朝廷の日本統一」の後に学ぶ(縄文・弥生→建国→統一)
2 大化改新で聖徳太子の「天皇中心の国」が守られたことを知る
3 摂関政治で「実力者」に「政治権力」を預け、天皇は権力者を任命する「権威」(象徴)なったことを知る
4 源頼朝で「武士の権力」が成立するが、「天皇の権威」は守られ、室町・江戸と「実力者」が変わっても国のかたちは守られていったことを知る。
5 明治維新~明治の国づくり 「天皇中心の国」だったからアジア唯一の国民国家・近代国家が生まれたことを知る
6 大日本帝国憲法で立憲国家日本の天皇の地位が確定し、それが日本国憲法の「象徴」に受け継がれたことを知る

日本は天皇の国として始まったが、途中からは「実力者(藤原・源・足利・徳川)中心の国」に変わっていく(世界標準の国になる)可能性はありえたととらえる。にもかかわらず日本の先人たちは「天皇中心の国」という「世界の例外」を守り続けた。その秘策が「権力は実力者に任せる方式」だった。天皇は実力者に権力を与える「権威」になった。その結果、日本では一度も革命は起こらず、国号「日本」も変わらず、平和的な世界一古い国家となり、国家存亡の危機があれば国民は天皇の下に団結して乗り越えてきた。

ここでは、授業「大化の改新と天皇中心の国づくり」の発問をめぐって、この考え方を例示してみます。

『日本が好きになる!歴史全授業』では最初の「授業の意図」(P74)のところにこう書いています。

シナのように易姓革命で王朝を変えていく国(これが世界標準ですが)とちがって、わが国は皇室を国の中心にして一つにまとまり、国の形を崩さないできました。この独自性をしっかり教えることが国史の基礎基本であることをしっかりおさえながら、指導していきましょう。(注)使いやすくわかりやすいパワポスライドができて、これからはテキストを読まなくてもかんたんに授業ができるようになりました。それはそれでいいのですが「授業の意図」くらいは目を通していただけると嬉しいです。

この独自性をしっかり教えること」と書いています。そのために次の発問を設定しました。

ただし、注意していただきたいのですが「教える」というのは「Bが正しい」と刷り込むことではありません。AかBかを考え、対立して話し合うことを通して、日本の歴史にはこういう問題があったこと、しかもそれは日本の運命にとって大変重要な問題だったことをしっかりと考えさせることです。そのためには学級の中に両方の考えがあり、主張されることが不可欠です。
そのようにして上記の1から6までを学ぶことを通して、子供たち自身が先人の選択に敬意を払えるように育っていくことが重要です。

Aの考えはまちがいではありません。AにもBにもメリットとデメリットがあるからです。しかも人類の常識はAでした。日本だけがBを選んできたのです。日本の独自性の意味を考えさせていくのが歴史授業だと思っています。

それでは「大化の改新」の発問です。

【プリント】「聖徳太子一族の滅亡」を読み、問題を考えさせる。

  あなたが当時の日本のリーダーだったら、どちらを選びますか?   
A その時その時の実力者(蘇我氏など)が天皇になる国。   
B 皇室(天皇家)の血筋を持つ方が天皇になる国。  

このとき、指導者が世界の常識はAだということを理解しておくことが大切です。日本以外の国では国のトップは実力で決まりました。いまのように選挙で選ばれるわけではありません。激しい権力闘争の末に決まります。ほとんどの場合、暴力・戦争で決まります。シナの易姓革命論はそれを「勝った方を正当化する思想」として編み出されました。

Aはその時代の実力者がトップになるべきだ。血筋で決めてたらダメだよ。という意見です。

普通に考えたらこれが正論です。子供たちに「冠位十二階」を教えたときを思い出してください。みな賛成します。
リーダーは家柄じゃなくて能力(実力)で選ばないとダメでしょと言います。十七条憲法の第7条はまさにこの思想です。それが古い氏姓制度(家柄優先)を改革し古代的近代の官僚制度を実現していきます。

教師の発言
「そうだよね。素晴らしい意見です!そう考えるのが普通だと思います。なので、日本以外の世界の国々はほとんど全部実力で国のトップは交替(革命という大戦争)して、国名もかわっていきました。冠位十二階と一緒の考えだよね」

Bは聖徳太子の大方針を守りたい。神武天皇からの伝統を守ろう。天皇は神様の血筋だから特別です。みんなが尊敬しているから国がまとまる。蘇我氏では国がまとまらないんじゃないかな?・・・

教師の発言
「素晴らしい!そうだよね。昔から続いていることを変えるのはけっこう勇気がいるよね。神様の血筋だからみんなが尊敬するわけだな。だから国がまとまる。ちょっと頭がよくて実力があるくらいじゃ国がまとまらないというわけか。たしかに入鹿のやってることはちょっと信頼できないかな」

「どちらもちゃんと素晴らしい理由があるね。理由がある意見というのは基本「正しい」のです。両方正しい。そういうなかでご先祖様たちは考えて考えてどちらかを選んできました。意見が分かれたらいまは話し合いで多数決で決めますが、歴史の中では実力で決まることが多いのです。その主人公はこの二人でした」

ということで、中大兄皇子と中臣鎌足が乙巳の変で蘇我入鹿を暗殺して蘇我本宗家を滅ぼし、大化の改新という大改革を進めました。ということで、先人はBを選んだことを学ぶ。

なんと、天皇以外は全部実力や能力で選ぶのに、天皇だけはこれまで通り血筋で選ぶことが確認され、天智天皇・天武天皇・持統天皇と皇親政治(天皇親政)が続いて、天皇中心の律令国家日本が完成していきました。三人とも実力でもトップクラスの人物でした。君主号は天皇になり(王ではない!)国名も大和から日本になり(倭・邪馬台ではない!)、年号も日本の年号を使いました(シナの年号ではなく)。

なんで天皇だけ血筋で決めるんですか?
もしこの質問が出てきたら素晴らしいです。この疑問を尊重できないとシン皇国史観?は成立しません。
答えられますか? 
いわゆる皇国史観なら天皇は「神」ですから絶対です。天皇だけは血筋と決まっているで終わりです。疑問を持つこと自体を封じてしまいます。
もし神話を絶対化しなければ、飛鳥時代の時点ではこの疑問を説得的に解決することは出来ないのです。
「どうしてかはわかりませんが、日本の歴史ではそうなりました」
たぶん歴史が教えてくれます。これからの歴史を学びながらまたこの「質問」を思い出すことにしましょう。

Aを選んだ子供たちを大事にしなければならない理由は、「天皇中心の国」は大化改新ではまだ未完成だからです。

平安時代になると、藤原氏という真の「実力者」が登場します。また武士という「武力を持った実力者」も登場します。このような、蘇我氏どころではない強大な「真の実力者」が登場することによって、大化の改新から律令国家完成期までの「天皇中心の国」は、「(権威としての)天皇中心の国」に成長(脱皮)していきます。前者は「天皇親政」のイメージです。後者は「立憲君主」のイメージです。
平安時代や鎌倉時代まで、Aの立場の子が残っていてほしいのです。子供たちが歴史に学んで少しずつ分かっていくためです。
この「(権威としての)天皇中心の国」が現在の「(象徴としての)天皇中心の国」の源流だと考えています。
(注)東大憲法学の「象徴」と「国民主権」の解釈ではなく、「象徴」も英国同様の「立憲君主」という解釈に立ちます。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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