大和心と漢心(からごころ)と近代文明



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小林秀雄によれば「大和魂(やまとだましい)」の初出は紫式部の源氏物語で、「大和心(やまとごころ)」の初出は赤染衛門の和歌だという。

ともに「才(ざえ)」の反対語として用いられているそうだ。
才とは大陸から来た学問・知識のことで、要するに漢字文化のことを指している。そしてこれを原理にして成り立っている国家や政治、それを担っている男たちの漢文(中国語)かぶれのことをさしていた。

大和魂も大和心も、ともに仮名言葉であり、仮名言葉を生み出した大和言葉であり、つまりは漢字以前の心のことをいう。小林はそれを生活・知恵・常識のことだという。ここではそれを漢字以前の言葉、漢字以前の心ととらえる。 

大和魂はある時期から侍の言葉になったがもともとは女房言葉であり、上のようにとらえることがとても大事だと思っている。本居宣長はそう考えていた(という)。

日本列島に、文明はいつも外から海を越えてやってきた。
文明とは文字であり・仏教であり・儒学であり・国家であり・戦争であり、自然の外に出てそれを支配することであり・・・という人類の新ステージのことをいう。縄文文化は「文明以前」の失われた貴い文化だと思う。「縄文文明」と呼ぶことが流行しているが、ぼくには持ち上げているようでかえって貶めているように思えてならない。「大和心」はそこにつながっている。

漢字文明以前の日本列島にあったもの?
豊かな自然とその一部として暮らした縄文人。生命の営み。食べる・採る・生きる・育つ・人を思う・まぐわう・産む・祈る・祀る・死ぬ・話す・聞くなどなど。つまり自然との交換/交感と人どうしのかかわりと神々との交換/交感があった。生活と話し言葉があったのだ。話は物語になり神話になり、神話はまつり(儀礼)で朗誦され、伝承された。それが大和言葉であり大和心だった。それが「もののあわれ」の世界だ。

そこに入ってきた「漢意(からごころ・さかしら」とは、「なぜ?」とか「どうして?」とか「理由は?」とか「善悪は?」等と問うてしまう心の働きのことだと思う。学問や理念宗教につながる抽象的な思考がこのときから始まったのだと思う。そのきっかけは漢字だった。

大陸から漢字文明(からごころ)を持った人々が入ってきた。
海岸線は長く、彼らが住み着く場所はいくらでもあった。そもそもこちらには「戦う」という観念がないのだ。受け入れることは日本列島人にとって古い昔からの自然過程だったにちがいない。

この時期に「灌漑用水をともなう大規模稲作技術」をはじめとする大陸の文明が入ってきた。
彼らは揚子江流域の温和な人々が中心だったようだ。縄文時代にずっと交流のあった照葉樹林文化を持つ人々だったと思う。だから縄文人と文化面でも共通点が多く親和的だったのではないか。相互に交流しながら混血し、日本列島人は少しずつ文明化の道を歩んだ。やがて各地にクニと王が生まれ、やがてそれらが統合して大和王権の大和国になった。

その後の人類の歴史を見れば、13世紀のモンゴル+高麗の侵略や16世紀のカトリックの侵略は必然だった。だから、ぼくたちの遠い先祖が、漢字文明を導入し、国家建設をはじめ、8世紀に律令国家を完成させたことは見事だったと思う。そうでなければ、日本は揚子江あたりのシナ少数民族のひとつだった可能性もあった、かもしれない。

ただし日本の文明化はかなり特殊だったと思う。大陸の漢字文明に征服されなかった。大和心(アニミズムを継承する)が主体になってみずからを文明と融合させていった。
それで日本文明は少しややこしいものになった。江戸時代に日本文明(大和心+漢字文明)はほぼ完成しているのでそれで終わっていればまだわかりやすかった。
しかし、さらに新たに西洋近代文明が入ってきた。日本人は大昔と同じようにこれを融合して日本文明を更新しようとした。それで「日本文明」は「大和心+漢字文明+西洋近代文明」となって、さらにややこしくなった。

このややこしさがいま日本の問題の中心になりつつある。

たまに「西洋的」や「米国的」を憎んでこれを捨て去りたいという声を聞くが、それらはすでに「日本文明」の血肉になってしまっていると思える。
かつての国粋的な無理はもう通らないし現実的ではない。
可能な限りリアルな自己像を持つことが大事だと思う。
私たちは文明以前と二つの文明の融合体として今ここにいるのだから。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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