【まえがき】
学校で歴史をまなんで、「日本人に生まれなければよかった」と書く子供がいる。日本の過去を反省するためなら、史実をまげてでも日本人が行ったとされる悪事を教えなければならないと考える教師がいる。
こんな歴史教育は間違っているのではないか。こんな歴史を子供たちは、まなびたいはずがない。子供たちにとって、本当に「学校でまなびたい歴史」とは、右の感想とは逆に、「日本人に生まれてよかった」、「日本人であることを誇らしく思えるようになった」と書きたくなるような歴史なのではないか。そう考えて、私は、この数年間、ひとりの小学校教師として、ささやかな模索を続けてきた。
本書は、現段階で私がたどりついた、右の設問への答案である。私の授業を受けた六年生は、次のような感想を残して、学校を巣立っていった。
●今の私たちや今の日本は、昔、日本を立派な国にしようと一生けん命努力した人々のおかげであることがわかった。
●私は歴史の授業を通して日本のことをたくさん知ることができた。これでやっと本当に日本人になれた気がする。
子供たちは、先人の努力を敬い、自国を愛する真心のあふれた文章を書いてくれた。子供たちは、自国の歴史を「わがこと」としてまなんでくれた。家族の一員として先祖から命のバトンを引き継ぎ、日本人の一人として先人から国づくりのバトンを受け継ぐ。そうした決意のようなものを、子供たちは言葉にして残してくれた。
本書は、小学校における歴史授業の実践報告である。同時に、私が担任し、私が心から誇りに思っている子供たちとの共同作業で生み出した、新たな歴史物語でもある。そうしたものとしてお読みいただければ幸いである。
授業は、さいたま市立島小学校で私が担任した平成十二年度の六年二組と、平成十四年度の六年一組で行った。この二つの学級は、私の学級通信の名前を取ってそれぞれ「まほろば一代目」「まほろば二代目」とよばれている。一代目が三十六名、二代目が三十九名。この素敵な子供たちと、彼らを慈しみ育てた保護者と出会えたことは、私にとってこれ以上ないといえるほどの幸運だった。毎週三時間、全六十八時間の歴史授業を、子供たちは真剣にまなび、また、まなぶことを楽しんでくれた。
その中から、八時間分の授業を選び、六章のお話にまとめた。
私たち教師が授業研究の資料に使う記録は、そのままでは読みにくくて、一般読者に提供できるものにはならない。そこで、歴史読み物としても読めるわかりやすさ、読みやすさを追求して文体を私なりに工夫した。そのヒントになったのは、産経新聞の教育欄「解答乱麻」に書かせていただいた授業記録風の文章である。できれば、読者も一学習者になったつもりで、「同級生」の子供たちの意見に耳を傾けながら、祖国の歩みの大きな物語を楽しんでいただけるとうれしい。
次の文章は、まほろば一代目が、すべての歴史授業を終えて書いた「日本の歴史を学んで」という題の作文の一つである。それは、生まれて初めて歴史を学んだ少女が、一筆で描ききった「日本」でもある。少し長いが、全文を引用させていただきたい。
●私は、縄文時代の時から今まで、ずっと歴史はつながっていたんだと思った。そして、今も歴史は進み続けているんだと思った。
弥生時代に初めて卑弥呼というリーダーが現れてから、日本は天皇をリーダーにして発展していったのだと思った。日本が一つにまとまったころ、日本は他の国との交流が始まった気がする。
そして、六世紀から七世紀ごろに、聖徳太子が活躍した。私は、聖徳太子が国のかたちをはっきりと決めたから、今まで日本が一度(アメリカ)しか支配されずに、ここまでやってこれたのだと思う。このころから日本は中国に追いつこうとしていたことにはおどろいた。それは、明治時代に日本が西洋の国に追いつこうとしていたことにつながっていたと思う。これもやっぱり歴史のつながりなんだと思った。
そして、七世紀についに戦い(白村江の戦い)が起きた。これで初めて、日本として戦ったことがわかった。でも、戦うことばかりではなく、奈良の大仏ができたり、文化も発展していったからすごいと思った。そして、日本の文化も発展していって、かな文字ができて、短歌が発展し、日本の行事が生まれた。私は、かな文字ができたことが特にすごいと思った。そのかな文字がなければ、今日本人みんなが困っていたかもしれない。こんな前にできたかな文字が今でも使われているなんて、本当にすごいと思った。
それから日本は戦国時代になった。私は、日本の中で戦いをしてはぜったいにいけないと思った。またいくつもの国に分かれてしまったら、日本がここまで発展してきた意味がないと思った。でも、そんな中、戦いをおさめられる人物も現れ、日本はまた一つにまとまれた。よかったと思った。
一八五三年、ペリーがとつぜん日本に乗りこんできた。私は、このころから西洋の国々とかかわってきたことが太平洋戦争になった一つの原因だと思った。でも、江戸幕府が終わったことはよかったと思う。このまま幕府を続けていたら、日本はただ西洋の言いなりになっているだけだったかもしれないからだ。
でも、明治時代になってから、日本は変わったと思う。人々は平等や自由をもとめるようになって、今の人々とすごく似ていると思った。しかし、新しい社会が始まったとたんに戦争が起こった。日露戦争には勝ったけど、その後の戦争は日本が負け続ける戦争になっていった。太平洋戦争だ。でも、日本は負けても戦い続けた。私は、ここまでして日本を守った人々はすごいと思う。きっと今の人にはできないと思う。「日本のためなら死んでもいい」そうみんなが思っていたんだと思った。でも、アメリカはそれ以上に強く、原子ばくだんを落としてきた。たくさんの人々が亡くなり、たくさん人が悲しんだ。
私は戦争だけはしたくないと思っている。でも、この時代の人々がもう戦争はしないという気持ちを日本国民に伝えてくれたから、私も戦争をしないという気持ちを持てたのだと思う。
歴史を勉強して、一番大切なことは自分の考えを持つことだと思った。それぞれの時代にすごく意味があって全て今の私たちにつながっている。それを忘れてはいけないと思った。歴史は今も進み続けている。このままずっと日本の歴史が進み続けてほしい。
子供たちは、このように、それぞれ個性的な「歴史」を書いてくれたが、授業としては、私の実践はまだまだ未完成である。本書をお読みいただいて、ご教示いただければ幸いである。
平成十五年六月 著者
【本書の構成・表記について】
各章は①「授業づくりの話」、②「授業の実際」、③「子供たちが学んだこと」の三つの節に分かれている。
①「授業づくりの話」には、その授業がどうやってできたか、その授業までに至る経緯や付随するエピソードなどが書かれている。授業のねらいや意図を示して、本文の理解を助けるための節である。
②「授業の実際」が本文にあたる。
文章中の『 』は授業の中で教師が子どもたちに話した言葉である。「 」は子供が話した言葉である。
ただし、『 』に入れずに地の文に落とした教師の話もある。『 』の中があまり長くなるのがわずらわしく見え、勢いでそうなったのである。だから、地の文であっても、「・・・です」のように文末が敬体の部分は、教師が教室で話しているイメージで読んでほしい。しかし、地の文の中で「・・・だ」のように常体の文末になっている部分は、現在進行中の授業ではなく、その外に出た筆者の解説や注記である。
子供の発言や、子どもが書いた文章は実際とほとんど変えていないが、地の分に落とした教師の説明や解説部分などは、単純な授業記録を大幅に加筆修正している。また、子どもたちの発言は、順序を入れ替えたりグルーピングして示したところもある。これらはみな、授業記録を読み物にするためにしたことである。
③「学習を終えて」には、それぞれの授業の後に子供たちが書いた感想文の一部を並べておいた。それを読めば、子供たちの中にどんな学習が成立したのかがわかるだけでなく、授業の意図や史実の持つ意味もまた立体的になるはずである。
この三つの節は、私たち教師がくり返し行っている授業研究(教師修行)の基本的なサイクルでもある。授業をつくり、実践し、結果を評価し、授業を修正する。そのようにして日々の授業を改善し、また新たにつくり直しながら、教師は前に進むのである。
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