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その前に書きたいことがあったんだが、書き始めるとなんだか堂々巡りになって、このところ同じようなことばっかり書いていますね。困りました。

それで箇条書きにしてみます。何かに当たるかもしれません。

1 奇跡が起きてここまで来られたこと

 平成15年(2003)に最初で最後になってしまった授業実践記録集『学校で学びたい歴史』を出した。かなり意気込んでこれで行けるだろうと思っていた。相当な自信もあった。しかし反応は鈍かった。何も起きなかったと言うのが正しい。かなり落ち込んでしまった。

しかし出版してすぐにこれを読んで翌年追試していた先生がいた。それが渡邉尚久先生(現船橋市立船橋小校長)だ。彼が10年後ぼくの市立中学校の定年退職に合わせて連絡をくれて、翌日から「日本が好きになる!歴史授業j講座」(教師向け)が始まった。

 ぼくも自由主義史観研究会で発表はしていたが、教師の参加はほとんどなく、彼らはすでに目覚めていた特別な教師たちたったので、ぼくの実践の意味はよくわからないようだった。退職したら細々とでも教師に伝えたいと考えてはいたが、ぼくは人徳もなく教育的世間では「危ない教師」だったのでふつうの現場教師が集まる可能性は低かった。

そこにまさに誂えたように渡邉さんが現れた。彼は人柄もまさにザ・教育者であり、教頭-教委-校長-教委というキャリアで教育世間での受けもいい。しかも「七つの習慣」で著名な実践家だった。その渡邉先生が「斎藤の歴史授業講座をやるからみんな来ない!?」と呼び掛けてくれたのだ。いきなり30人ほどの千葉県の小学校教師が集まってくれた。その彼らが、次回からは友人を連れてきた。ぼくの講座が特別よかったわけではないが彼らはぼくの授業を受け入れてくれた。まさにこれも渡邉マジックだったと思う。

そうやって先生方に広がることになり、講座が10年も続いて、のべ3000人(だったかな?)が受講してくれて、ファンになってくれた方もいた。この奇跡がなければぼくの歴史授業は終わっていました。いまでもキツネにつままれたようなその時の気分が忘れられません。

2 10年やった連続講座とSNS中心の宣伝スタイルはそろそろ終わりだと思う

 SNSとYouTubeが一般の方にも広げる手段になった。とくに始めのうちはSNSやYouTubeの効果が大きかったと思う。しかし、この10年でSNSやYouTubeの意味がものすごく変わってしまった。残念なことも増えた。陰謀論めいた単純化した話やオカルトめいた話が主流になりつつある。そういう目立ち方の方が儲かるからだ。

立派な言論人だったはずの人がひどいことになり始めている。また基礎的な読解力のない人がやたらと発言するようになった。そういうヒトの方が発言しやすい環境なのだと思う。彼らの多くは本も読まない人たちだ。ネットで勉強すれば賢くなれると思っている。まあ理解出来ないぼくの方が頭悪い典型なのだろうが、事実としてこの空間とは距離が開いてしまったということです。

 今年は一休みして今後の生き方をじっくり考えてみたいと思う。とにかくこの10年に感謝しつつ、今後は同じようにはいかないなと考えています。このことの全体的な意味はもう少し考えてみないとよくわかりません。この半年くらいのぼくの情報収集はNoteやNewsPicks | 経済を、もっとおもしろく。のようなメディアと昔ながらの読書に回帰しています。

 「日本が好きになる!歴史授業」の役割も相対的に低下しています。

服部先生安逹先生の発信、子供たちのための勉強サイト歴史人物学習館、小林義典先生や清田直紀先生などTOSSの先生方の発信、新しい教科書をつくる会の教科書、など、10年前には考えられなかったたくさんの歴史授業改革の窓口が増えました。

またぼくの授業用スライドはあんまり使えないので、岡本先生が現場の感覚に合わせて授業スライドをリ・ビルドしてくれた。これも授業がぼくを離れて自立し始めている兆候だと思える。実際岡本スライドは大好評らしい。ま、ぼくの実践は黒板とプリントと拡大コピー画像でアナログでやってましたから、いま販売しているスライドは現場を離れてから作ったものです(言い訳です)。仕方ないね。

3 はじめからセットで全部つくるという構想で始めた

 ・目標「国を愛する心情・態度を育てる」「国を支える国民としての自覚を育てる」(教育基本法&指導要領)これを学級の8割以上達成する全授業をつくる。

 ・教材・・・基本は教科書でいい。教科書に欠けている重大点を補う。①日本の良さや世界の中の独自性の教材化(これは天皇の国に関わる物語です。単純ではなくまだまだ不十分です)。 ②近現代史を先人に共感できる物語で教材化(これは①よりも単純で、現在の教科書の基本は共産主義者と戦勝国のプロパガンダとわかれば何とか克服できます。ただ戦後の文系の学問の状況がひどかったので学問や学者に敬意を持っている方にはハードルが高くなりますね)。

 ・方法・・・その時代の国のリーダーの立場で日本の進路を考え話し合う。正誤のない選択肢問題。

 ・カリキュラム・・・教科書に従う。が、裏カリキュラムとしての全5章の物語(①民族の形成期②古代国家の形成期③日本文明の形成期④近代国家の形成期⑤世界の中の日本)が教材と授業構成の基礎になっている。

 ・学習者と評価・・発問についての記録・理由の記述、毎時間の授業感想文。全授業終了後の作文「日本の歴史を学んで」

 ・全70時間の授業・・・入門「命のバトンと国づくりのバトン」から全5章の授業を経て、最後の授業「国づくりのバトン・・・自分の番がくる」まで、内容的なつながりがあり、すべての授業をやって、目標が達成できるという構想になっている。これは面白いという80点の授業だけをいくつか追試しても目標は達成できないと思う(たぶん)。

 ・再現可能な全授業・・・凡庸な一担任教師だった自分のためにつくった。ぼくは全科目の全授業(再現できる)が平均点60点くらいでそろっていれば、もっといい教育ができるのになあと思い続けていた。そうすれば毎日定時に帰宅して家に仕事を持ち帰らずに済んだと思う。

 ・歴史教育への思い入れがあって、失われた国民の物語を回復したい、そのためには通史の授業がつながるようになってなければダメなんじゃないかという思い入れがあった。それが全部!という構想の原点かな。

4 セットでつくったことの問題点

・教師になるような方はみんな自信があるので、騙されたと思って全授業(せめて7割)追試してくれないかなあとお願いしてもそれはかなり抵抗があるのです。

・ただ、例えば聖徳太子の授業がいいと思っても、4時間全部追試できないという声もある。42人の人物を取り上げるのに、聖徳太子に4時間使えません!というわけだ。これも当然ですね。全授業の大きなストーリーがわからないのだからそう思うのは仕方がありません。しかし、これも実際に授業をやってみて、ずっときて明治の国づくりになってみて、初めてそうか!だから4時間なのかとわかる。仕方のないことです。

・それでもここまではよく健闘したと思う。それもこれも渡邉先生と彼のお仲間のおかげでした!しかしこの後はなかなか難しそうだ。今教師をやっている人のなかで関心を持ってくれそうな方にはだいたいみんな伝わったような手ごたえがあります。

・それと、今後は6年生歴史は、専科制になるようで、すべて社会科教師に占領される可能性大になりました。中学校は地歴専門の先生なので、10年やって20人くらいしか出会わなかった。社会科の教員養成はもうカチカチの戦後レジーム支配なので、今後は小学校の歴史も「日本が好きになる!歴史授業」は入り込めなくなりそうです。もちろん社会科教師のなかにもわかっている方はいらっしゃいますけれど。

4 今後のこと

・ちょっと休みたい。

・勉強したいことがある。ちょっと時間がかかる。

・歴史授業では、中世史・近世史の教材開発と物語化をやりたい。ここが不十分だから。それと、古代の一回目の文明開化(漢字文明の導入)の所をもう少しクリアにしたいな。

・できれば教員養成の現場で授業をさせてもらえないかな。まあ無理だろうが、どこかの大学の「歴史教育方法」みたいな講座で呼んでもらえたら老骨に鞭打って命がけで1年くらいやってみたい。それがだめなら、オンライン寺子屋みたいなのを細々とやっていきます(中高生?)。何年か先になりますが。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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  • 姫路の終戦前後を調べている70歳の婆さんです。メッセンジャーした者です。60歳で空手と武器術を始め、今は姫路藩が採用していた流派の古武道(居合など)を習っています。ちょっと気になる事があります。武術は巧ければよい指導者であるとは限りません。ご存知かもしれませんが「守破離」という言葉があります。誰でも最初は真似る事から入ります。かなりの時間を経て自分なりの考え方を持つようになります。歴史を教える教師の方々に、この『真似る』という段階がないのに驚きました。歴史を知っている事と理解していることは違うのではないか。理解しているとして何をどう教えるか。その部分の訓練が無い状態で、「歴史教育」という海原に羅針盤無し、動力は手漕ぎ状態でほり出されるのですか?部外者なので的外れな事を書いているかもしれません。そうだったら御免なさい。

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