戦後教育の失敗の根本は歴史教育の失敗だった。望ましい歴史教育ができるようになれば日本の教育はよみがえる。
そう考えて「日本が好きになる!歴史全授業」をつくり実践し講座で伝えるということをやってきました。1993年から始めておよそ30年が経過しました。
今年で「伝える」仕事もちょうど10周年を迎えたので連続講座はいったん終了することにしました。
これまで応援してくださったみなさまに心から御礼を申し上げます。
Season10ファイナルの一年を終えるにあたり、この後の展望(3つの希望)を簡単にスケッチしておきます。
1 新しい歴史教科書をつくる会の教科書が採択される
新しい歴史教科書をつくる会は1996年に発足して、すでに数回の教科書検定に合格しています。しかし教科書採択戦に敗れ続けて「子供たちに良い教科書を手渡す」という会の目標はほんの一部しか達成できていません。
しかし次の採択戦から、公立義務教育学校(都道府県)の採択が増えてくる可能性が大きいと考えています。
その理由は二つあります。
ひとつはリベラル政党しかなかった日本にいくつかの保守政党が新たに誕生したことです。
なかには歴史教育にたいへん熱心な政党もあります。保守政党の地方議員や組長がこれから増えていく可能性があります。
もうこれからはリベラル左派の自民党のウソに騙されずに済みます。これからは左翼のテロや情報戦にも勝てる環境がつくられていくことでしょう。「つくる会の教科書の理念は自由・民主主義・リアリズム・先人への感謝」「つくる会の教科書は皇国史観ではなかった」「つくる会の教科書は誇り(自己肯定感)を育む」など、情報戦のキーワードを確定していくことだと考えます。
もうひとつは、つくる会の教科書(カリキュラム・内容・方法)で授業した教師たちの授業実践の成果がかなり蓄積されてきていることです。
「日本が好きになる!歴史全授業」もその一つですが、『歴史人物になってみる日本史』の安達弘さんや『感動の日本史―日本が好きになる!』の服部剛先生など、つくる会の教科書をもとにして授業をつくっている先生方がたくさんいます。また少数ですが採択して使っている中学校の先生方もいます。これらの先生方が実名を出して実践報告ができる環境が整ってきていると思います。20年前には実名を出して授業実践報告をしたり、社会科や学校の研究会などでそうした研究報告をしたりすることは難しい(リスクのある)ことでした。それがいまでは「日本が好きになる!歴史授業」の追試をそうした場で堂々と報告する先生が次々と現れています。
これらの現場教師の動きと連携していけば、採択に向けて大きな力になると考えています。
以上新保守党と現場の先生方との連携によって、つくる会の教科書のイメージが刷新され、採択への道が開かれていくと予想できます。
2 歴史教育プラットホーム「歴史人物学習館」とつながる先生方の授業実践
「歴史人物学習館」にはこちらから
国際派日本人養成講座で著名な伊勢雅臣さんが今年(令和5年)「歴史人物学習館」というサイトを立ち上げた。これが社会科教師の間で「これまでなかった画期的なサイト!」として広がり、たくさんの現場教師がつながった。
社会科という教科は学習方法教科であり教師の専門性がかなり高い。「課題解決学習」という子供中心の学習方法が目玉で、子供たちの自主性にもとづいて「学習課題」を調べさせることを最も重視している。子供たちは、図書館やネットで資料を探し、自分なりに大事な資料を選択して自分の考えをまとめ、子供それぞれの「課題の解決」を発表・議論し合うという授業である(実際は個々の教師で多様な授業形態があるが)。小中学校の教科の中では特に子供中心の学習を重視してきた教科である。
しかし社会科の調べ学習にはひとつの問題があった。
子供が調べる資料が図書館でもネットでもみな「自虐的」だったことだ。もちろんつい最近までは社会科教師のほとんどが「進歩的文化人」だったのでむしろその情報環境は大歓迎だったのだろう。
しかし20年ほど前から、歴史は?公民は?地理は?本当にこれでいいのかと悩む社会科教師も出てきた。子供たちはみな「日本は侵略国家で反省しなければ」とか「やっぱり天皇制が悪いね」とか「明治憲法よりもなんて素晴らしい日本国憲法!」という意見(だけ)を持つようになってしまう。まさに戦後日本を象徴する教科だったのだ。問題意識を持ち始めた一部の社会科教師は、子供たちを図書館やネットの原っぱに放り出すのをやめて、複数の対立する立場の史料を自作するようになった。
こうした問題を解決しつつあるのがこの「歴史学習人物館」なのだ。人気が出るのも当然である。
伊勢さんたちは現場教師の授業研究会を組織して、優れた社会科教師の知恵を生かして各種コンテンツの充実を図っている。ここに、上にあげた安達弘さんや服部剛さん、「東京裁判」の授業で著名な清田直紀さんなど、「偉人語り」の伊藤優さんなど、気鋭の社会科教師が集っている。社会科の先生は急いでこのサイトにアクセスしてメンバーになってください。社会科教育の未来を拓く「歴史人物学習館」に社会科教師が結集することを期待しています。
(注)実際のほとんどの中学校社会科は暗記科目になってしまっている。用語を覚えることに特化した無味乾燥な授業が全国の社会科教師の主流である。上に書いたのは、一部の研究熱心な社会科教師の話です。
3 若き教師たちに手渡された「日本が好きになる!歴史全授業」の新たな展開
30年前歴史授業を変えようと思い立った時、私は小学校の担任であり「社会科教師」ではありませんでした。
しかも私にとって「社会科」は、ジョン・デューイの「ソーシャル・スタディ」であり、GHQ独裁権力が「修身・国史・地理」を消してしまったあとに「これでやれ!」ということになった呪われた教科でした(歴史的には日本の良心的な教師たちが、軍国主義者が追放されたあとに、「子供を戦場に送らない教科」として自主的に始めたことになっているのかもしれません)。
そういう次第で、社会科は日本の教育から「国」を消してしまい、世界と郷土だけを教えることにした教科でした(国を良いものとして教えると好戦的な子供が育ちます!?)。そのために、日本の子供たちはアイデンティティーを形成できず、自己肯定感ある自我を形成できず、根無し草にされてしまいました。
まさに社会科は、戦後日本の教育が無残な失敗となった「戦後戦争」の「A級戦犯」でした。
私は「社会科では日本人の失われた物語は回復できない」と考えていました。社会科では「国を愛する態度を養う」(教育基本法)と「国を支える国民の育成」という歴史教育の二大目標は達成できないと考えました。そこで私は「歴史」を小中学校の社会科で授業はするが「社会科」の問題解決学習や調べ学習は基本的に無視することにしました。
それで創造したのが「日本が好きになる!歴史授業」でした。しかし出来上がってみると戦後社会科実践からけっこう多くを学んでいたことに気づきましたが。例えば主発問「政策選択学習」などですね。
私の実践は孤立無援状態でしたが、クラスの子供たち全員に「国を愛する心情・態度」と「国民としての自覚」が育てられたと評価できるものでした。退職後の10年間、その全授業(システム)を若い教師たちに手渡しで伝える全授業講座をやってきました。その結果、たくさんの若き教師たちがこの全授業を追試実践してくれました。
10年間でおよそ800~900人が受講しました。年間9回で7年間(千葉でやった3年間のデータはありません)の延べ人数は2190人になりました。まほかに年間数回~十数回は各地で講演をしてきましたので実際はこの倍くらいの数になると思います。
追試してくれた先生方の多くが、新米かベテランかに関わらず、歴史教育の目標が達成できただけでなく、子供たちの人格形成・自我形成に大きな成果があったと報告しています。きわめて授業の再現性が高いことがこの10年間で明らかになったのです。
来年からはこの若き教師たちが、私の10年間のバトンを受け継いでくれます。
その出発セミナーが来る2月17日に開かれます。題して「日本が好きになる!歴史全授業・・・追試した希望の教師9人衆による提言」です。会場は池袋。同時にネットでも参加できるハイブリッド講座です。
これらの追試した若い先生方の活躍も、今後の日本の教育の大きな希望の一つです。以上3つの可能性について書きました。
30年前、歴史教育の改革は政治がやることだと思っていました。そのための準備のために歴史授業をつくり始めました。しかし、自民党の先生たちは調子のいいことを言うだけで日本の教育を変える意志はありませんでした。文科省はいまやリベラル左翼の牙城になり、歴史教科書検定のトップは毛沢東主義者になり、検定スタッフは過激フェミニストだったりします。おやおや。自民党の政府はその文科省のおしりに敷かれたママです。いまや保守言論誌『正論』もそれに従って使い走りをやる始末です。やれやれ。
10年前に全授業講座を始めたときはもう日本の政治は(教育に関しては)終わっていました。一寸の希望もありませんでした。
そこで全授業講座で教師を動かし教育現場(教室)でゲリラ戦を始めてもらうことにしました。死んじまった政治を指をくわえて見てたって仕方がないからです。
ゲリラ戦は戦略的には成功とは言えませんが、個々のバトルでは全面的に大勝利を収めています。戦う前線の先生方は歴史の授業で育った子供たちに胸を張っています。一部の例外を除いて保護者全員(共産も公明もいるぞ!)が彼らの熱烈な応援団になっています。子供がスクスク育っていれば(自己肯定感・やる気・元気・感謝 等々)、しかも平均をはるかに超える成長が歴史授業のおかげならば、保護者も応援団にならないわけはありません。必ずなります。このゲリラ戦は兵站もバッチリなのです。ありがたいことです。
政権がどうであれ、文科省がどうであれ、教室でいい授業をやり、自虐史観で虐められる子供たちがなくなれば、日本は前進できるはずです。いや自虐史観教育で子供たちをいじめる教室を一つでも減らしていくゲリラ戦です。
今回は、そういう教育現場のゲリラ戦の希望を3点述べてみました。社会科の先生方には不愉快な文言があったことでしょう。どうぞお許しください。いま現場で頑張っている先生方に心より敬意を表します。
コメント
コメント一覧 (1件)
斎藤先生の3つの希望の中に自分の名前や歴人を入れて頂き光栄です。歴史教育改善運動の今後を考える時、この斎藤コメントは大事な指針になります。近々にこれを踏まえて議論したいな、と思います。