小中学校の社会科公民分野は日本国憲法の「素晴らしさ」を教える内容になっています。
30年前は天皇を教える内容は羽毛ほどの限りなく軽い扱いでした。見出しもありませんでした。
自由主義史観研究会と新しい歴史教科書をつくる会が研究を始め、扶桑社の公民教科書が検定を通ってから少し良くなりました。
「天皇」が単元の見出しになったり、本文の見出しになるようになり、天皇陛下の写真も掲載されるようになりました。
教科書では日本には君主はいあいことになっています。
天皇を君主と書くと文科省の役人が墨塗りしてしまいます。
天皇はあくまで象徴であり、日本は立憲君主制ではなく立憲象徴制らしいです。そんな用語はありませんが。
また象徴は元首ではありません。日本は元首(国の代表)がいない国だと教えられています。
1960年代までは「天皇を含む国民に主権がある」というのが憲法学者の大勢でしたが、教科書は、文科省は、「国民主権」一点バリで天皇は教科書の中にいませんでした。
そして今や憲法学者も国民主権の中に天皇は含めなくなりました。
すべて東大憲法学のせいです。東大憲法学には言論の自由がありません。異論のヒトは教授にはなれないからです。
西洋の憲法学では君主と国民は相反するものであちらを立てればこちらが立たない関係です。
ですから、フランスのように国民主権のためには王と王族はギロチンにかけられます。
日本の教科書と憲法学は西洋の血塗られた歴史をもとに自国の憲法を教えたいわけです。
個人的には「国民主権」という革命政権的な表現は外したいと思います。
日本はもともと君民共治の歴史です。
君が権威で民(臣下)が権力です。
臣下の権力が貴族から武士へ、最後に国民に移って今日があります。
天皇が国と民の平安を祈り、その時代の実力者に統治を預けましたから、権力者は天皇が祈る民草に対して西洋や中国のような奴隷的な搾取や支配はできず、世界史ではまれに見る穏健な統治の歴史になりました。
大久保利通は戊辰の役が終わったころ、立憲君主制を構想して建白しています。当時のリーダーたちの合言葉は君民共治でした。日本の歴史では君主と臣下は基本的に敵対したことはないのです。例外はありますが。
明治憲法は君民共治であり、その精神を継承した日本国憲法も君民共治の「国民主権」でなければなりません。
日本の憲法学は日本の歴史と伝統に立脚して学問をしてもらいたいものです。
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