一昨日船橋小学校で授業をしました。千葉の偉人伊能忠敬。こんなお話でした。
平均年齢40歳の江戸時代で50歳からの第二の人生。彼の第一の人生を知る。
19歳も若い先生に入門したのは天文学がやりたかったから。測量と天体観測で地球一周の長さを知ること。
長い距離を測らなければ誤差が大き過ぎてダメ。幕府に藩境を越える測量許可を願い出たら一発が出た。
それはラクスマン根室来航の3年後で国土防衛のための正確な地図作成が急務になっていたから。測量を許可するからついでに東北北海道の地図を書いてくれ。だけど財政逼迫の折から費用はキミが出してね!
忠敬はやっと人生で一番やりたかったことができるぞ!と喜んだ。費用の1万両は家業で得た30万両の財産があるから大丈夫だよ
第一次測量の地図を見たら老中たちはビックリ仰天。幕臣取り立てるから日本全図を頼むよとなった。
それから73歳まで18年間第10次測量まで伊能隊は約4万キロ踏破して極めて正確で美しい伊能図を完成させた。ペリー来航の30年ほど前に完成してした地図は地球一周の計算値とともに当時の世界最先端の成果だった。
弟子たちは忠敬の死を秘したまま江戸城に完成した伊能図を届け、これを最初に見たのは将軍家斉だった。
ではみなさんこれから日本全図を見に江戸城の大広間に参りましょう!
子供達の感想文を読み始めたがかなりレベルが高く感心しきりでなかなか前に進めない。まずは一つだけ紹介します。
日本地図を作った人だと知っていたけど、学問に入る前も立派なことをしていて素晴らしい人物だった。
しかも30億円も財産を残せるほど真面目に働くのはすごい。
日本地図作りではたった5ミリのずれでも直すくらい、楽しくて必死だったのがわかりました。
日本が植民地にされないように、日本を守ったとも言えるほど、この日本地図は宝物だったとわかり、伊能忠敬は千葉のほこりなんだと思いました。
50歳のおじいちゃんが73歳まで、幕府や日本のために日本地図を作り続けていて素晴らしい人物でした。そのようにみちびいた高橋先生もすごいとおもいました。
美味しい給食をいただいて帰るまでの短時間で子供達の感想文が届けられ驚きました。しかもどの子も内容がある作文です。聞きしに勝る力のある学校でした。
渡邉校長先生、ありがとうございました。
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