昨日一神教の呪いを書いたら幕府がキリスト教を弾圧したことを否定的に評価したと読んだ方がいて驚いた。文章が下手だからまあ仕方ないのかな?
ぼくはキリスト教禁止の理路を6年生わかるように、しかも討論しながら理解できる授業を日本で初めて授業した者ですから、もしそれを知っていればそんな誤読はありえなかったでしょう。
またあのカトリックとの衝突を単に安全保障問題とだけ捉えて軍事大国だった日本が勝利したと見るだけでは不十分だと思います。日本史上初の異文化衝突だったことが今となってはより重要です。鎖国の成功と失敗は目に見えるようになっていますが、この文化衝突の側面は実は400年後の現在も片付かないまま引きずっているからです。
「わが国は神も仏も良いカミだから両方大切にして来た。同じようにキリスト教を信じる者も認めよう。個人の自由じゃ!」
これが秀吉の最後まで変わらぬ政策でした。秀吉が禁じたのはキリスト布教することだけです。それも不徹底極まりなくその後もキリシタンは増え続けました。
秀吉なぜ宣教師の布教を禁じたのか?
イエス(ヤハウェ)だけが良い神であり、異教の神仏は悪魔だ。すべて滅ぼす!という宗教観が日本文明にとっては危険な異物だと直感したからです。まさにこれが一神教の論理でした。これは日本の長い歴史の中でも特筆すべき異文化衝突でした。
布教を禁じた秀吉はなぜか当時20数万いたキリシタンの信仰はそのままにしました。その結果日本の宗教的伝統を守りました。神も仏も西洋のカミもありだよねと。もしそうだとしたら、昨日ふれた授業で禁教に反対だった子供達は秀吉の立場だったのです。
(続く)
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