夏の花というとなぜかまず百日紅が出てくる。今朝は百日紅を撮ってみました。
むかし、エルネスト・ルナン『イエス伝』を読んだことがある。ルナンはちょうど日本の明治と重なる人で、日清戦争のころまで生きた。
たぶん初めてイエスはメシアじゃなくて人間だと書いた人です。奇跡なんてないんだよと。イエスはユダヤ教から出てきたのではないといいい、ユダヤ教とそれを引き継いだイスラム教が大嫌い。・・・ここまで合理的で世俗的なイエスをどうしてこんなふうに崇拝できるのか、ルナンの信仰のほうがわからないなと思った。ちなみに本書はカトリックから禁書にされた。
そのルナンに歴史の授業をやり始めてからもう一度出会います。「国民とは何か」という論文で、いわゆる近代ナショナリズムの始まりのころの言葉です。フィヒテが有名だけど、民族にウエイトを置くフィヒテとはちょっと違って、国家・国民という制度的な共同体論だったような気がします。
そのルナンが最近また近寄ってきてちょっかいを出してきた。
今まで抜け落ちていた点だったのでちょっとメモしておきます。
出典はウイキペディアです。
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文明の使命
ルナンはフランスの植民地主義による侵略を、劣った人種を文明の域に引き上げる『文明の使命』とした。
普仏戦争の翌年の1871年に書いた『知的道徳的改革』において、優秀な西洋人種が黒人や中国人やアラブ人の「劣った人種」や「退化した人種」を征服し搾取するのは当然である、と述べている。ルナンは『知的道徳的改革』の中でこう述べている。
「優秀な人種が、劣等なあるいは退化した人種の向上をはかることは、人類にとって、神の摂理に叶った事業である。我が大陸の住民は身分の低い庶民も、ほとんどつねに没落貴族といえる。彼は労働よりは戦いを選ぶ。すなわち、世界を征服することが我々の使命なのである」
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キリスト教に熱心な人ほど「劣った人種」「退化した人種」を文明化する使命を持ってしまうようだ。ルナンにとってはそれがまさしくイエスの愛だったのだろう。
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