一週目の途中で降られてしまった。悔しいがそのままノルマを歩いた。この雲を見て止めておけばよかったんだ。しかし最終回で上がったから〆て良しになった。
やっちまったら反省しないのが正しい。
ことわざで日本の論理を教える実践が好きだった。庄司さんという仮説の先生です。柳田国男の研究も面白かったと思ったが、今回の断捨離では庄司さんの本は出てこなかった。ずいぶん前に捨てていたんだな。
というのがことわざでは一番です。
うんと悪いことの裏側にはうんといいことが張り付いていて、うんといいことの裏側にはうんと悪いことが張り付いている。
ほどほどにはほどほどの禍福があり、どちらでもないことには禍福はない。
74年生きてきてまったくその通りだと思う。
ついでに連想したのは、ヘーゲルの『精神現象学』で一番電流が走った一節。
存在するものは(すべて)合理的である
この世にあるすべては「ちゃんとわけがあってそこにある」ということです。
自分の存在を否定するような存在も、自分の考えを否定するような言説も、すべて「ちゃんとわけがあってそこにある」。
なぜかこの本が気に入ってしまって、25歳までに2回読んだが、いちばんの収穫はこのたった一行でした。
しかしこの一行がその後のぼくの人生と思考を支えている。
活字中毒にもあなどれないものがあるということです。
マルクスやヘーゲルに遭遇して、いまにしていちばん有益だったのは「弁証法」だったと思います。これはいまも自分を支えているんじゃないかな。発想の手がかりです。
三浦つとむも板倉聖宜も「弁証法」つながりだった。
最後にぼくにはめずらしいおのろけをひとかたまり。
もう50年以上一緒に暮らしている妻が、つい最近、何かの拍子に、こんなことを言った。
「あんたと一緒になっても、ご利益は何もなかったけれど、なんだかジェットコースターに乗っているみたいで、ホント飽きなかったよ」
ふ。我が人生無駄ではなかったなあということで(笑)
コメント