改訂版7「坂本龍馬と大政奉還」



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★勝海舟の思想と坂本龍馬の行動を教える。薩長同盟と大政奉還が龍馬の2大業績だろう。

1 坂本龍馬
■坂本龍馬の写真を貼る。
坂本龍馬

【板書】1835年 土佐藩に生まれた(郷士)。
○×クイズ
①この人物は、剣術が強かった。
②この人物は、少年時代泣き虫だった。
③この人物は、18歳ぐらいまで寝小便をしていた。
④この人物は、日本で最初の貿易会社を作った人だ。
⑤この人物は、ペリーの黒船を自分の目で見た。*正解はすべて○
■地図で土佐藩を示す。
*ペリーが来てからおよそ十年後。龍馬は28歳。土佐藩を脱藩。
*そのころ京都では、幕府派と反幕府派の殺し合い。長州藩VS幕府の戦争もあった。
『そういう大変な時期に、この若者も国のために何かしたいと考えて土佐藩を出て行った』

2 運命の出会い
(●写真「勝海舟」)
katukaisyu.jpg

『江戸に出た、尊皇攘夷派の龍馬は幕府のリーダーに会いに行った。斬りに行ったといわれている。』 
■資料「勝海舟の話」を配る。
*******************************
勝海舟は坂本龍馬にこう語った
┌────────────────┐
│ 勝海舟(かつかいしゅう) │
│*幕府の軍艦奉行 一八二三~ │
└────────────────┘
 坂本さん、刀はもうちょっと、引きつけておきな。そうじゃないと、おれは斬(き)れないよ。まあ、おれを斬るのは、いつでもできるだろうから、今日は、アメリカの話でも聞いてお帰りよ。
 おれは二年前、咸臨丸(かんりんまる)に乗ってアメリカに行って来
た。何がおどろいたって、あそこじゃ、国の政治は、選挙で選ばれた人物がやるという話だった。将軍家も、殿様(とのさま)もないんだ。だから、上に立つ者はみんな、ひとかどの人物だよ。バカでも身分や家柄がよいというだけで、リーダーになれるような国とは、いきおいがちがうというわけさ。
 おれたちはいま、そんな国を相手にしているんだ。今のように、国内で戦いあっているようじゃ、日本はあぶないよ。どっちが勝ったって、日本全体としてみりゃ、弱っていくばかりなのさ。そんなことをしていたら、西洋の植民地にされちまうかも知れないぜ。
 それでもいいのかい、坂本さん。
 西洋にやられないためには、軍艦だって大砲だっているんだよ。そいつを手に入れるには、西洋とつきあうしかないんだ。大砲も軍艦もない、サムライは藩に分かれていて、国としてまとまった海軍も陸軍もない。こんなことで、どうやって国を守れるっていうんだい。
 国が一つにまとまって、いざとなれば戦うという気力を見せれば、西洋にだって、そうかんたんには、やられやしないよ。
 幕府だ、長州だ、薩摩だと、日本人どうしで、けんかをしている場合ではないということさ。 
どうだい、人殺しなんかやめにして、おれといっしょに海軍をつくる仕事をやらないか。よかったら明日からでも、おれの海軍繰練所(かいぐんそうれんじょ)においで。

*******************************
読み終わってから、次の指示をする。
 龍馬は、勝の話を聞いて、体を電流が流れたように感動してしまった。
 なるほど、自分が当時の武士だったら驚いただろうところに一ヶ所にだけ
 線を引きなさい。*列指名で発表。同じ所に線を引いた者に挙手させる。(とくに正解はない。ほめる)
■龍馬の手紙を教える。「日本第一の先生の弟子になった。これからはこの先生について、 日本のために働く・・・」

3 薩長同盟
(●写真「西郷隆盛」「桂小五郎」)
隆盛西郷
木戸孝允

■『龍馬は勝先生に学んで、海軍の勉強をしたり、貿易会社をつくったりしながら、日本を変えるために働きました。その活躍ぶりを見ていきましょう』
①第1次長州征伐は幕府と薩摩が組んで長州をたたいた。長州は薩摩を憎んだ。長州藩士は草履の裏に「薩摩」と書いて踏みつけて歩いた。それくらい憎んでいた。
②しかし、勝海舟も坂本龍馬は、日本はもう幕府ではもたないと考えていた。
③そこに、薩摩も方針を変えて「幕府はもうダメだ」と考え始 めているという情報が入ってきた。
④龍馬は「長州と薩摩のけんかをやめさせる」ことを考えた。龍馬は自由の身だから、あ ちこち飛び回れる。西郷さんと会ったり、桂小五郎さんと会ったりしながら、両方が手 を結ぶ話を進めた。
⑤しかし、2人を会わせてもなかなか同盟の話が出ない。お互いに憎み合ってきた過去が あるから、相手から先に言わせたいんだね。

★プリントのマンガを見せる。
話を進めない西郷と木戸の間に入った坂本龍馬の台詞を考える。
「 ○○のためでも、○○のためでもない。 ○○のためだ!」
 ○○にどんな言葉が入るでしょうか?

*発表させる。正解は「薩摩のためでも、長州のためでもない。天下(日本)のためだ」

【板書】1866年、薩長同盟成立。
『幕府は2回目の長州征伐をやったが、薩摩はそれに参加せず、幕府側が負けてしまった(高杉晋作の授業を想起)』

4 戦わないで、江戸幕府を終わらせるアイディア
*こうして日本の対立は、「幕府VS薩摩+長州」となった。
■薩摩と長州が、幕府を倒す戦い。
そこで、坂本龍馬は、こんどはこのけんかをやめさせられないかを考えました。
それは、「戦わないで江戸幕府を終わらせる」という、驚くべきアイディアで
 した。それはどんな方法だったでしょう?*近くの人と相談して考えさせる。発表させる。
【板書】「徳川家が、みずから政権を朝廷にお返しする」

『第15代将軍、徳川慶喜は、龍馬が考えたこの案を実行しました。これを大政奉還といいます。これからは、朝廷を中心に新しい国づくりをしていきましょう、というのが坂本龍馬の考えだったのです。こうして、260年続いた徳川幕府が終わりました。1867年10月のことです。』
【板書】1867年10月、大政奉還(朝廷に政権をお返しした)江戸幕府が終わる
■プリントの勝の言葉「国内で戦ってはならぬ」を確認させる。

5 まとめ
『泣き虫で寝小便たれだった少年は、浪人の身軽さをフルに使ってとびまわり、薩長同盟、と大政奉還という大仕事をやりとげました。しかし、龍馬はそのわずか1ヶ月後に死んでしまいました。京都で暗殺されてしまったのです。犯人については諸説あります(幕府の見回り組が本命らしい)が、幕府の見回り組だったようです。吉田松蔭・高杉晋作・坂本龍馬、みな明治を迎える前に死んでいきました。』

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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