幕末から明治の日本の歩みを学んできて、当時の日本人の置かれた状況・持っていた認識・気持ち・考えを知るようになると、日清・日露戦争で「戦う」を選ぶ生徒が増えてきます。
これは少し説明がいりますが、私の歴史教育の基本は、自分と血のつながった先祖が生きた時代を、できるだけ先祖の立場に立って(今の平和で豊かでわがままな自分の目から見るのではなく)、共感しようとするところにあります。
その上でポイントごとに、キーとなる発問(授業で行う質問のこと)をします。
その多くは日本の運命に関わる選択です。
この選択を「リーダーになったつもりで」考えてもらいます。
実際の先祖はたぶん民衆の一人だったでしょうが、なぜリーダー(統治する側)に寄り添わせるかというと、それは生徒たちがやがて選挙権を持って日本の運命にかかわることになるからです。
立憲制度における国民は「統治される人」であると同時に「統治する人」であることを求められているからです。
歴史教育は、このような立憲制度に資するという一面があると考えています。
さて、日清戦争で「(私が伊藤博文だったら)戦う」とした生徒はこう書いています。
■今まで日本は天皇中心に団結して歩んできて、富国強兵を進めてきたが、戦争に負けたときのことを考えると、できるだけ戦争はさけた方がいい。
しかし、私は考えた。負けたときのリスクだけ考えるなら、戦争は毎回避けるべきだ。
そりゃ戦争なんかだれだってしたくない。
だけど世界に争いは続いている。
そんなにさけるなら、早く争いのない世界にしろ!
でも、人間そんなにうまくいかないから、ここで日本には国を守るために勝ってほしいと思った。
もし負けたら、また一歩ずつ歩めばいい。
で、彼女はこの授業が終わった後こう書きました。
■清との戦争に勝ったことで日本という国にみんなもっと自信を持ってほしい。愛国心と自分の国(日本)への自信を大切にしよう!
日露戦争の授業ではこう書いています。
■戦争は負けたときのリスクもあるけど、勝ったときの喜び・利益もある。今回は日本だけじゃなく、白人の植民地になっているアジアの人々に、大きな自信と希望をGET!
これは大きい。
列強の一員となった日本の授業ではこう書いています。
■私は、すべての国が、独立できるだけの力が必要だと思いました。
じゃないと、後々、国としてみてもらえなくなりそうだし(植民地)、それで、列強になめられて戦争をふっかけられても困る。各国は、まず軍事力を高めた方がいいと思いました。
とにかくたいへんだったけど富国強兵の日本が成功して良かったと思いました。
松陰先生や高杉さんも喜んでいると思います。
こういう授業を始めたのは20数年前ですが、この生徒の考える力はしっかり育っていると、私は思います。
しかし、20年前にこういう日露戦争の授業を『社会科教育』(明治図書)に発表したときは、名だたる教育大学の教授方に総スカンでした(北海道大学の安藤先生だけほめてくれましたね!)。
それがみな口裏を合わせたように、「歴史で戦争を教えたら児童生徒が反戦の強い意思を持たなければいけない」「侵略戦争に反対する児童生徒を育てることが教育の目標だ」というご指導ばかりでした。
たぶんいまも変わらないことでしょう。
ほんとうの歴史を教えれば、安全保障・軍事力の重要性も自然に理解できると考えています。
大学生までに健康な安全保障の考え方を身につけることは、立憲国家の基礎基本ではないでしょうか。
「平和教育のために近現代の歴史教育を行う」というのは、煎じ詰めれば「近現代の世界では日本だけが悪かった」と教えることです。
これは明白なウソです。
憲法9条があり、日本だけが軍隊を持たなければ世界は平和でしたか?
憲法もウソのかたまりでしたね。
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