マッカーサーは憲法を押しつけてできれば1年くらいで講和しようと考えていた。
1947年の対日講和バーンズ案の骨子はこうだった。
・軍隊保持禁止
・航空機保有禁止(軍民問わず)
・軍需転用可能工業と商船隊の制限
・極東委員会国代表が常駐、今後25年間
・・・・芦田内閣の要望案には「日本は要望する立場ではなく強制される立場である」と答えた。
1948年 アイゼルバーガー中将は3~5師団の日本軍再建計画をマッカーサーに提出。
マッカーサーは握りつぶした。その理由は以下の5点だった。
1 アメリカの神聖な国際約束に反しては、アジア諸国の反発を招く。
2 占領軍の威信を失墜される。
3 植民地の内日本に5等国以上の軍備は持てず、それではソ連に対する脅威にならない。
4 日本の経済力は軍事負担に耐えられない。
5 日本国民は戦争放棄を支持しているし、再軍備を決して欲していない。
吉田茂とマッカーサーの考えはまったく同じだった。
吉田も再軍備は欲していなかった。
1948年 ベルリン封鎖。しかし、米ソ冷戦はますます深刻化した。
1949年 中華人民共和国成立
それでも吉田は11月に言った。
「わが国を安全保障する唯一の道は非武装国家として列国に先んじて戦争を放棄したことだ。平和を愛好する世界の世論を味方にすることだ」
1950年、二人は少し転向する。
元旦のマッカーサー演説
「日本の戦争放棄を幻想だと笑う者もいるが、これにまどわされてはいけない。これは日本の発意によるものであり、最高の倫理的理想にもとづくものである。これ以上本質的に健全で実際的憲法条項はありえない。もちろんどう理屈をつけてみても、それは他国の攻撃に対する固有の自衛権を完全に否定すると解釈することはできない。が、これこそ、剣を持って敗れた国が、剣に訴えない国際的道徳と正義の最後の勝利への信頼を高らかにうたいあげるものである。
吉田の1月施政方針戦説
「 戦争放棄の趣旨に徹することは、決して自衛権の放棄を意味するものではない」
4月、吉田は池田・宮沢を訪米させてメッセージを伝えた。
「講和後も、アメリカは日本を含めたアジア全域の安全保障のために、軍隊を日本に駐留させて置く必要があるだろうが、それをアメリカから言い出しにくければ、日本からお願いしてもいい」
6月、トルーマンの意志を伝えにダレスが来日した。
骨子は3つだった。
1 日本を独立させ、国連(UN)に加盟させる。
2 日本の経済復興を促進させるために尽力する。
3 安全保障の取り決めに至る過渡的な処置として、間接侵略を防ぐための強大な警察軍を創設する。
6月22日ダレス・吉田会談
吉田は再軍備の言質をあたえないためにはぐらかす。ダレスはあきれる。
2日後、朝鮮戦争が始まった。
ウイロビーは服部卓四郎とくんで再軍備プランを出したが、吉田・マッカーサーに握りつぶされる。
7月 GHQの警察予備隊創設指令
8月10日警察予備隊令、23日7000名入隊。
吉田は言う「これは再軍備とは関係ない。共産侵略に備えて警察力を強化するものだ」
GHQは再軍備批判の言論統制を実施。
夏、レッドパージが進む。
9月 ダレス記者会見
1 日本お菜軍備に制限を設けず、経済通商の自由を最大限認め、国連加盟と反共同盟への参加を促進する。
2 極東における共産主義の侵略から日本を守るために、米軍が日本に駐留する権利を得る。
同9月 トルーマンが対日講話を決断する。
1951年(昭和26年)1月29日 ダレス・吉田会談
・講和後の米軍駐留は決定。
・再軍備について。吉田「たいへんゆっくり進める必要がある」ダレス「集団安全保障(国連)には貢献すべきだ」
マッカーサーはこう言った。「自由世界が日本に求むべきは軍事力ではない。生産力と労働力を活用すべきだ」
1月31日第2回ダレス・吉田会談
・マッカーサーが折れ、吉田も従う。再軍備を約束した。「講和後に保安隊を設置する」
・吉田は「保安隊は警察力」と国民に説明した。吉田本人もできれば再軍備は避けたい(講和後反故にする)と考えていた節がある。
当時外務省からアメリカ政府に提出された文書が1977.5.13 に東京新聞にスクープされた。
「海陸を含めて新たに5万人の保安隊(仮称)を設ける。(中略)この5万が日本に再検査れる民主的軍隊の発足となる。
「自衛企画本部を国家自治省の自衛部に設置する。これは将来の民主的な軍隊の参謀本部になる」
1951年3月25日 ダレス帰国。
ほどなく吉田に、対日講和条約草案が届き、UPがこれをスクープ。日本の各紙にも載った。
4月11日 マッカーサー解任。
9月8日 サンフランシスコ講和条約調印。日米安全保障条約調印
ロベール・ギラン(ル・モンド特派員)
「米軍基地の設置・移動などについて日本政府との協議義務がない。条約の期限がない。アメリカには日本を防衛する義務はない。など、この条約は極めて不平等な単なる《駐軍条約》である」
10月26日 国会が批准した。
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