中学歴史2年「自由民権運動と藩閥政府」の授業



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《授業の意図》
・自由民権運動は善玉(人権・民主主義)で藩閥政府は悪玉(独裁的専制政府)だと思っている生徒が多い。小学校の教科書がそういうニュアンスで書かれているからです。この誤りを正し、同じ目標に向かっていたが、時間をかけて準備するか、すぐに実行するかという対立だったことを教えます。アジアで初の立憲政治を目指して両者は切磋琢磨します。

1 自由民権運動と伊藤博文

西南戦争後、反政府グループは「自由民権」を旗印に結集しました。前時で学んだ西南戦争を教訓として、「今後の政府批判は言論で戦おう」という合意が成立したのです。その後今日に至るまでわが国は武器を取って国民同士が戦った大規模な内乱は一度も起きていません。

・板垣退助と大隈重信を紹介します。
彼らの主張は「明治政府が成立して10年以上が過ぎたのに、いまだに薩摩と長州出身者による藩閥政府が権力を握っていることに正統性はなくなった。だから国民的に合意できる政府をつくろう!」というものでした。
そのために、次の3つの制度を作ろうという提案です。
1つは、近代的な憲法をつくろう。
1つは、議会(国会)をつくろう。
1つは、そのために議員を選挙で選ぶ仕組みをつくろう。

・批判された藩閥政府のリーダー伊藤博文を紹介して、次のように問いました。
伊藤博文は、この提案に賛成だったでしょうか? 反対だったでしょうか?

生徒の意見は次のようになりました。
「賛成だった」  1名
「反対だった」 27名

「反対だった」の理由は、「伊藤は長州出身だったから藩閥政府の方が有利だったから」「自由民権運動を徹底的にだんあつしたから」などでした。
「賛成だった」の1名は次のように書きました。
「伊藤博文は岩倉使節団に加わり外国に行ったことで、憲法や議会が必要なことは十分わかっていたと思う。それに政府が決めた五箇条のご誓文に議会を作ることが入っていたはず。だから伊藤自身も賛成だったと思う。」

*この意見は、「明治新政府の国づくりの大方針」の授業で取り上げた五箇条のご誓文の「広く会議を興し万機公論に決すべし」と、前時の「岩倉使節団と士族の反乱」の学習内容からみごとな推論をしています。2年かけてこういう思考を育ててきましたがようやく実りつつあります。たった一人で主張できるのも素晴らしいですね。

・大久保利通も伊藤博文も「憲法と議会」は身にしみていました。なぜなら、岩倉使節団でアメリカに渡り不平等条約の改正を掛け合った彼らに、米国側は「憲法も議会もないような国と対等条約は結べない。文明国になってから出直してくれ」と答えて、全く相手にされなかったからです。
これも前時で扱っていたのですが、言われてから「ああそうだった」とうまづきます。まだまだ指導力が足りないね。
もう一度「広く会議を興し万機公論に決すべし」を板書して、ノートに書かせました。五箇条のご誓文は明治大正昭和をつらぬくわが国の大方針であり、きわめて重要です。

2 目標は同じ、対立点は何だったのか?

・その後の展開を教えます。
1878(明治11)年 政府は地方議会として府県会を設立。選挙と立憲政治の国民的な学習を展開しようとします。
民権派はこの地方議会に進出して、大きな盛り上がりを見せ、一部の士族にとどまらない国民的な運動になっていきます。
1880(明治13)年 民権は国会期成同盟をつくり、新聞や演説会によって政府に圧力をかけます。
政府はこれに、新聞紙条例と集会条例で対抗しました。
では対立点は何だったのか?という資料を読ませます。
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A 自由民権運動側の意見(大隈重信)
  急いでやるべきだ(2年後)。このままでは薩摩と長州出身の一部の者の独裁政治が続き国民の元気がおとろえてしまうだろう。四民平等ではなくなってしまうからだ。不公平なリーダーの決め方は、ぜったいによくない。
  だから、国会を開いて、国民が選挙で代表を選び、その代表が話し合いによって政治を進めるべきなのである。
  また、西洋列強は不平等条を改正しない第一の理由に「憲法がなく国会もない」 ことをあげている。日本を、西洋と対等な国にするためにも、一日も 早く やるべきである。

B 政府側の意見(伊藤博文)
  国のリーダーを選挙で選ぶべきだという考えは、政府も賛成だ。
 しかし、今すぐそれをやるのは、たいへん危険である。急ぐべきなのは、富国強兵の政治であり、のんびり話し合って政治を進めるよゆうは、今のわが国にはないのである。
  また、国民はこれまで何百年も、武士の政治にだまって従ってきたので、政治がやるべき事がよくわかっていない。もしまちがったリーダーが選ばれたら、日本の独立もあぶなくなる。国民の教育を進めて、国民が国や政治について理解できるようになってから、選挙を行うべきなのである。

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生徒の意見分布はこうでした。
A 自由民権派 5名
B 政府派   23名

次のような意見がありました。

A 民権派
・どっちにしろやるんだから、さっさとやったほうがいい。だらだらしていると、次々と他の問題が起こってくるだろう。そうして、なるべく早く西洋と対等になるべきです。

・今すぐやっても、時間をかけてもどっちにしろ厳しい。民権派を選べば国が危うくなるかもしれないが、慎重にやっている時間はないのではないだろうか?これは賭けだが、民権派の意見を選ぶしかない!

・今すぐやらないとまた後回しにされてしまう。国の危険がわかっているなら、一刻も早くやって文明国になるべきです。

政府派(23人)
・時間をかけてやる方が、急いでやるより間違った判断をしないですむ。国民が国や政治のことを理解しないままだと間違ったリーダーを選ぶことになり、日本が危うくなる。

・国民に政府のことを理解してもらったうえで選挙をすべきだと思うので、時間をかけた方が良い。今すぐやって失敗したら、国民が自由民権運動を良いものではないととらえてしまうから、ゆっくりやったほうが民権派にとっても良いと思う。

・今まで武士が政治をしていて、国民は政治を知らず、選挙の時だけキレイ事ばかり語るリーダーが選ばれたら、この国は大変なことになってしまうと思ったから。

・不平等条約されていても貿易では負けていないから、国の軍備を上げてから国会を作った方がいいと思う。

・西洋列強と対等につきあうという政治の目標が同じなら、リーダーが元薩摩藩か土佐藩かは関係ない。もしリーダーを別の人にしたいなら、時間をかけて育成してより安全な道を選べば良い。しかし、いずれは国会をつくらなければならないときが来ると思う。

・たしかに今すぐやらなければならないこともあると思うが、まだ日本はやるべきことをなしていない。だから民権の意見ももっともだが、今はまだ富国強兵など土台をしっかりした上で、ゆっくり、しっかり、時間をかけて進めていかないとこの国はダメだと思う。

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この対立は、権力を持つ政府側(伊藤博文ら)が先に立って手を打つことで解決していきました。

1881(明治14)年 国会開設の詔

こうして、9年後の明治23年に国会がつくられることが明治天皇の名の下に国民に約束されました。

民権派はどうしたか。たいへん喜んですぐに政党作りの準備を急ぎ、2つの政党が結成されました。
・板垣退助の自由党
・大隈重信の立憲改進党
しかし、一部の過激派が関わった秩父事件などが起きたことも話しました。
日本各地で民間の憲法草案が作られたことも、日本国民の素晴らしさとして教えます。

政府側はどうしたか。
なんとトップリーダーの伊藤博文がヨーロッパに留学し(明治15年)、憲法と立憲政治の研究に熱心に取り組みました。そして最後にこういう結論に達します。
「西洋の憲法をそのまま日本の憲法に写すことはできない。いちばん大事なのは祖国日本の歴史と伝統だ。古事記と日本書紀を学ぼう!」
こうして伊藤は日本の伝統の中に、人権も議会政治もあったことに気づき自信を深めました。

最後に、政府が内閣制度をつくり(明治18年)、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任したことを教えて、授業を終えました。

《感想文》
・西南戦争に負けた西郷のがんばりが無駄にならず、政府への批判は言論で戦うという「道」ができた。そして反政府勢力は自由民権派になって藩閥政府を批判した。私は政府のほうが悪者で、自由民権がいい者だと思っていたので、目標が同じとわかったときはしょーげきでした。ついに国会開設の詔が出され、政府も民権派も10年後に向けて準備を始めた。次はどうなるんだろうとどきどきします。

・今日は日本の政治制度のもとになった自由民権運動や政府の考え方を勉強しました。意見が対立して、一時は心配でどうなるかとても気になりました。でも最終的な政府の対応で、両方がそれに向けて準備に取り組みはじめ、とてもすばらしいと思いました。


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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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