授業用資料のつもりで、福沢諭吉『学問のすすめ』第1編(明治5年)と第3編の一部の超要約をやってみました。
超要約・福沢諭吉『学問すすめ』第一編(明治五年・1873)
1 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といわれるように、人間に生まれながらの差別はありません。
2 それなのに、どうして富める・貧しい、賢い・愚か、等の差ができるのでしょうか。それはひとえに学問のあるなしによるのです。
3 学問と言っても、和歌を詠んだり、漢文(中国語)に浸かったりしても、物の役には立ちません。
4 やるべきなのは実学です。(読み書きそろばんから始まり、実権実証の学すなわち、地理学、物理学、歴史学、経済学、修身学など)
5 つまり、東洋古来の学問ではなく、西洋の学問を翻訳で学べば、家業に役に立ち、一身一家の独立もかないます。
6 学問をするには、自由独立の人権を知り、他人に迷惑をかけない範囲でこれを行使できなければなりません。
7 自由・独立は一個人に大切であるだけでなく、わが日本国家にとっても大切です。
「もし先方に道理があればたといアフリカの土人にさえ頭を下げるべきだし、自国の正義を守るためならば強大な英米の戦艦も恐れるべきではない。万一国家が恥辱をこうむるような非常時には、日本国中の人民が一人残らず命を捨てても名誉を全うしてこそ、一国の自由と独立が損するというべきである」
8 しかし、シナ人のように自国にうぬぼれて外人とみれば獣のように軽蔑していては、あのようにかえってひどい目ににあわされてしまいます。
9 明治以来のわが国の偉いところは、対外的には国際法をもって外国と交際し、国内で四民平等として人民の権利を認め、生まれながらの特権などは無くしたところです。
10 旧幕府時代のような、政府の横暴と人民の卑屈によって不合理な因習に支配されていた日本はもう終わりました。
11 政府に不満があれば堂々と主張し、場合によっては国のために政府と争うのが国民の本分となったのです。
12 わが国の独立と個人の自由を妨げるものと戦うためには、何と言っても学問を修め、知識を豊かにし、人格を磨き、道理をわきまえなければなりません。
13 無知文盲であることは、国家社会の害悪なのです。
14 人民がみな学問に志し、文明の方向に進むならば、政府の法率もより寛大なものとなり、わが国はよりいっそう立派な国となります。
15 政治の自由を愛し、祖国の富強を望み、外国の軽蔑を恐れるのは、国民共通の感情である。この感情に基づいてまず自己の品行を正しくし、熱心に学問に志し、知恵や人格を身につけるべきなのです。国民は政府の政治が進めやすくし、政府は国民に不当な圧迫を加えぬよう、互いの本分をつくし、共に相携えて日本の平和を維持していくことが重要です。「今私が読者諸君に勧める学問も、もっぱらこれを主眼としているのである」
超要約・福沢諭吉『学問すすめ』第三編から
「一身独立して一国独立すること」(明治六年)
世界の国々はみな対等(同権)であるべきだが、その国民に独立の精神がなければ、その国家も独立の権利を守ることはできない。
その事情を詳しく言えば、次の三つの場合がある。
第一に、しっかりとした独立の精神のない国民は、祖国を愛する気持ちも強くない。
第二に、国内において、自己の身分に独立の誇りを自覚し得ない人間は、外国人に接する場合も、独立の権利を張ることはできない。
第三に、独立の精神のない者は、他人の力を利用して、悪事(国を裏切ること)を働くことがある。
したがって、日本に生まれて愛国心のある者ならば、まず一身の独立を図り、父は子に、兄は弟に、教師は生徒に独立を教え、国民こぞって独立して国を守らねばならぬ。
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