もう少し仮説実験授業を紹介します。
こも投稿がきっかけで板倉さんの本をウン十年ぶりにいくつか読み返して、改めて大きい人だったんだなと感じています。熱中して読んでいたのは教員免状を取りに入った明星大学通信の2年間から教員試験に受かるまでの数年くらいだったと思う。恥ずかしながら、そのころのぼくは30代の前半。『未来の科学教育』の初版(1966)は板倉さんが38歳の年です!
今回は「ものとその重さ」の第二部にあたる「もの変化とその重さ」の授業です。最初の問題はこうでした。

みなさんはどれを選びますか?
「ものとその重さ」の学習を終えた子供たちの場合、アが一番多く、それにイが続き、ウやエを予想する子もいたと書かれています。
子供の討論はつぎのようなものでした。
イ「木は水に浮くんでしょ? 木が水に浮くということは木の重さがなくなるということでしょ。だからはかりの針は動かないと思います」
ア「木が浮いたって、はかりの上にのっているのだから、その分重さはふえると思います」
ウ「木は水に少しもぐっているのだから、なんとなくそう思いました」
エ「水に木が浮くのは浮力がはたらくからでしょ? だからその浮力の分だけ軽くなるのだと思います」
これらの答えはそれぞれみなもっともらしく聞こえます。だから討論はかなり活発になり、緊張した雰囲気の中で行われました。板倉はこう書いています。
「すでに他の本で紹介したことですが、小・中学生はもとより、高校生や大学生になってもこのような問題に正しく答えられないものが過半数に及ぶのです。私の調査によると、中学生で25%、高校生や大学生文化生でも40%程度の正答率というところです」
本書が上梓された1960年代なかばの高校進学率は60%程度、大学進学率は20%程度でした。
現在では高校進学率はお99%、大学進学率は58%になっています。この数字は変わっているでしょうか?
最近はかえって非科学的な陰謀論みたいなものが跋扈するようになり、学歴が高くても科学的な認識は怪しくなっているようにも思えます。
板倉はこう書いています。
「このような実験はこれまでの理科の授業ではまったく取り上げられなかったものです。こんな問題は教えなくたってだれだってできるはずだと考えられたからです。
しかし実はこのことは決して自明のことではないのです。とくに、浮力とか作用反作用だとか表面的な知識をつめこまれると、このような問題がすなおにこたえられなくなるのが実情です」
そのために「ものとその重さ」を学んだ小学生の多くがアを選んだのはなぜでしょうか。
「ものは、そのもの(をつくっている分子・原子)がなくならなければ、どんなになってもなくなることはない」
という考え方に、熱い議論をとおして驚きながら到達してきていたからです。
しかし、この考え方(学んできた一般論)が者が水に浮いている場合も適用できるかは、子供達には自明のことではありません。この場合でも木とビーカーに入った水の重さを足し算すればいいのかどうか、子供たちは直観的に判断しなければなりません。さらに物知りな子は「浮力」はどうなるんだ?などと余計なことも考えています。
その結果が上のような意見分布になったわけです。
さらに重要なのは、この問題に初めて出会った学習者が全員アを選ぶのが、必ずしも望ましいわけではないということです。
実験結果はアですが、「この条件ではちがうかもしれない」と考えることも「科学的な態度」として素晴らしいといえるのです。
「この条件でも本当にそれが言えるのか?!」と激しく問われながら、少しずつ子供たちは、より一般性のある「法則的な考え方」に到達していきます。それが深い認識に至るための討論の力なのです。
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