「日本は好きになる!歴史授業」がある程度まとまった実践になったとき(島小時代~)、子供たちの変容がものすごかったのでとても驚いたのを覚えている。それこそ何じゃこれは!?という感じだった。
まず、歴史の勉強が好きになった。
次の時間もやりたい!明日もやりたい!と言った。
そして歴史が好きになり、日本が好きになった。
教室にものすごい渦巻きが起きている感じだった。
実際はそこまでじゃなかった子もいたと思うが、学級全体がその渦に巻き込まれていた。子供たちの表情にはこの渦に巻き込まれていることへの心地よさが表れていた。
気が付くと歴史授業だけじゃなく、子供そのものが変わっていた。心というか考え方というか。
根底には「日本に生まれたってことはすごいことなんだ」という深い自己肯定の感情があった。それが子供たちにさまざまな向上的な変容をもたらしていた。
勉強ができないでやる気もなかったくんがすごいかっこいい意見を言うようになる。
内気で無口だった女の子が予想外の意見で教室の空気を揺るがす。
それを見て、後ろの方でいつも斜に構えていたデキルくんが妙に真剣に自分の意見を本気で言い始める。
デキル君たちの意見が分かれて言い合いを始める。え?そんなことあったっけ?
デキナイ君の意見の方がデキル君の意見よりも多く級友の心に響いたりする。え?そんことあったっけ?
「国のことを思い、リーダーとしてどうするかを考えるという問題」が、子供たちを動かしているから、そういうことが起きる。ただ覚え込んだ他人事の知識の争いではないからだ。自分事になった国のことで各自が言い合っているからだ。
大和朝廷のリーダーだったら仏教vs日本の神様の争いをどうすべきなのか?
頼朝は朝廷の許しを得るか?朝廷を滅ぼしてしまうか?
秀吉はキリスト教問題をどうするか?
西郷さんに味方するか?大久保さんに味方するか?
いったいぜんたい日本のためにはどっちがよりよいチョイスなのか?
悩むなあ。しかし自分お意見を選ばなくちゃ。リーダーなんだから。選んだら理由を言わなくいちゃ。そうじゃないとみんなで国の未来を切り開けない。
そうやって真剣に考えると上に書いたような子供たちの変容が現れる。
ここまではぼくの授業の話だったが、いまは、それを追試してきたたくさんの先生方の教室でも、同様のことが起きている。あの渦巻きが。
ぼくの考えてきた「愛国心」というのはこういうことです。
子供たちはみな日本のかけがえのない一員として、祖国を愛し始めたので、真剣に考えざるを得ない。
そうして話し合ってみると、これしかないだろ!と思った自分の考えがゆらぐことがある。
自分とは違う意見を「すごい」と思うことがしばしばある。
そうか国のためを思い、国をよくしていこうと思ったら、いろんな意見が出てくるんだ。
どれが100%正しいなんてことはない。
両方に同じ「愛国心」があるからだ。
そうやってよりましな方をと願って選んできたのが歴史なんだ。
それでも一流の人物や最高の頭脳が間違うこともあるのが国の歩みなんだ。
こういうふうに「愛国心」を学べば、異論の大切さがわかる。自由主義・民主主義に不可欠な「言論の自由」「思想信条の自由」の価値を全身全霊で実体験するからです。
「日本が好きになる!歴史授業」は自由主義・民主主義の学校でもあるのです。
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