GHQが「国史」を廃止したときどこまで考えていたのかはさだかではありません。
ただ歴史が「社会科」で教えられるようになって変わったことが二つありました。
一つは、歴史が血のつながった先人の遺産であり忘れられない思い出であるという実感が、歴史教育から消えてしまったことです。
このタテのつながりの実感がなくなって、歴史は「過去についての知識」になりました。
切れば血の出るような現実を持った思い出ではなく単なる知識になってしまいました。
そしてそれが受験戦争の一角に暗記科目としての地位を占める一因でした。
これを修復するために「歴史入門:命のバトンと国づくりのバトン」をつくりました。
この授業によって、歴史は単なる知識〈ことば〉ではなく、自分につながる現実(わがこと)になりました。
このことはたくさんの先生方の追試結果に表れています。
二つ目は、日本国民が共有していた「大きな物語」が失われたことです。
明治以後の日本の教育は「百姓を国民にする」という大目標の下にあり、それを見事に成功させました。国のことなんか関係なかった全人口の9割近くが、いざとなれば国のために死ねるところまでもってこられたのは教育の成果、なかんずく歴史教育の成果でした。日清・日露に勝利できたのは教育の成果が大きかったと思います。
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戦後日本人は再び国のためになんか死なないよという百姓にもどり、「国民」を意識しないように生きてきました。
GHQにやられたからではなく日本人は進んでこの道を選んだのです。
その象徴が「教え子を二度と戦場に送らない」という教師たちのスローガンに結実したのです(追放されなかった教師たちでしたが)。
しかし、ちょっと考えればわかることですが、新憲法がうたう「国民主権」と「国民を意識しないで生きる」という方針は背反していました。
ここから戦後教育のあらゆる欺瞞とごまかしが始まりました。戦後教育がいわゆる東京裁判を護持し続けてきたのもこのごまかしが原因でした。
歴史授業をつくりなおすことを始めたとき、最初は昭和の戦争の授業を「リアリズム」と「健康なナショナリズム」で修正すれば済むと考えていました。しかし、それでは足らぬことがすぐにわかってきます。
歴史授業改革という大テーマは、明治から敗戦まで国民が共有してきた「大きな物語」が失われたままで、これからの日本はやっていけるのかという問題にかかわっていますした。
いうまでもなくそれは「国体」であり、「皇国史観」でした。
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それに気づいたとき、ぼくの前には2つの考え方がありました。
1 戦前の皇国史観に戻ればいいんだ
自由主義史観研究会や新しい歴史教科書をつくる会を応援してくださった皆さんの多くは、あまり意識意思なかったかもしれませんがこの考えだったと思います。
メディアがぼくらのことを「右翼」とか「軍国主義者」と罵ったのはこの辺にも原因があります。
たいへんわかりやすく、戦略的にも明確であり、今も健在で、どちらかといえば多数派ですが、この人たちが幕末から昭和に至る日本の歩みをどう学んでいるのかはよくわからないところがあります。あれで全部よかった万歳だという方もいればそうではない方もいて様々だと思います。
ぼく自身は戦前の「国体論」と「皇国史観」にそのまま戻れるとは思えませんでした。それは緊急避難的な国家を支えたやむをえざる思想だった考えていたからです。
また、大日本帝国が滅びるに至った原因の一つだったなと思っていました。
2 社会科教育で何とか立て直そうと考える
これが自由主義史観研究会の主なメンバーの考え方だったと思います。
もちろん現状の社会科教育には大反対で、だからこそ歴史授業と歴史教科書を変えようとしていたのですが、「社会科という教科」には深いところで愛着と意義を感じていました。また制度としても「国史」に戻ることは無理筋でした。
それはいいのですが、歴史で「物語」を教えるという観点がないように見え、それはどうかなと思いました。
会ができて5年目くらいに、「そろそろ天皇中心の国という歴史観を打ち出しませんか」と提案したことがありました。その場では「まだ早すぎる」と没になったのですが、実際は「皇国史観」というタブーに近づくことを嫌ったように見えました。「そこまでは行かない」という意思表示を感じたのです。
その後、藤岡先生が昔から唱えていた「歴史人物学習」が成果を上げるようになります。これを実践して大きな成果を上げたのが安達弘さんでした。授業実践も素晴らしいのですが、教育理論としてもたいへん充実しています。
最近の「日本の偉人」を教えようという教師グループが元気があり、他方では伊勢雅臣さんが創設したサイト「歴史人物学習館」もこの安達さんの実践研究の流れに入りますので、これが歴史教育改革の中心勢力になっています。
戦後80年続いた「社会科」と折り合いをつけながら、歴史教育の実質的な改革を実現するために、このグループの戦略が最も可能性があり、有効だと考えています。
ただ、「歴史人物学習」がこれまで述べたような「物語」への関心が薄いことは気になっていました。
いまもなお「皇国史観」はタブーのままであり、これにちゃんと向かいあっていないように見えていました。
歴史人物で歴史を学ぶという学習方法と、素晴らしい日本の偉人に学ぶという教材論には大賛成でした。
しかし、歴史とは個々の人物の単なる足し算ではないと考えていましたので、ABCDEF・・・の人物を学びつつ、それらをつないで、どんな「日本の物語」を学ぶことになるのか。それが重要だと考えていました。
最終的には、どんな人物を、どんな順番で学ぶかですね。その教材論とカリキュラムが「物語」を考えることになるだろう思っていました。
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「日本が好きになる!歴史全授業」の場合は、前に書いた「問題・選択肢・討論」という方法と、もうひとつ「日本の大きな物語」をどうとらえるかの二つが、大きなテーマでした。
「方法」については前に仮説実験授業との関連で少し書きました。
「物語」については、ここでは詳しく書けませんが、構想としては以下のようなものでした。
・「日本は天皇の国」という物語をメインにする(子供たちが全授業を学んでおのずからこの認識に立てる)
・ただし戦前の「皇国史観そのまま」に戻るということはやらない。あれは国家の緊急避難的な思想だった。
・神話から歴史を始めない。考古学から始める。
・蘇我・足利・会津などを「逆賊」とはしない、南朝正統はとらない、など。
・サブテーマとして以下の3つの物語を学ぶ。この3つが総合して「天皇の国日本」という物語になる。
①日本は外来文明の外圧で2回の国づくりをした。大和王権による古代国家日本と近代日本(大日本帝国)。
この2回の国づくりを丁寧に描いていく。
②2回の国づくりの大きな指針となった聖徳太子の三大政策を「物語のエンジン」ととらえる。
③2回の国づくりに挟まれた1000年を「日本文明成立の物語(日本独自の王制である天皇制の成熟など)」として描いていく。
授業と物語はどちらが先という話ではなく、相互に検討し合いながら進めてきました。その結果上のような構想になっていきました。基本のカリキュラムは「教科書」と「学習指導要領」でしたが、上記の構想で全体の物語が描けるように教材を配置し、独自のカリキュラムをつくっていきました。
「日本が好きになる!歴史全授業」の物語は今もなお現在進行形です。ここが到達点ではないからです。
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