◆この授業の目標は「日本の戦争は正しかった」と教える授業ではありません。
◆教科書だけを読むと大東亜戦争の責任は日本だけにあるように思ってしまうが、戦争は相手のあることであり実際は関係国すべてに責任がある。戦争は悲劇であり避けなければならないが、「勝者は正義で敗者は悪だ」という偏った歴史の見方をする限り未来の戦争を避けることは出来ない。
これがこの授業をつくったときのおもな動機でした。
◆江崎道朗さんは「およそこんな感じが正解ではないだろうか」と、満州事変以後(日本が関与した戦争)の世界の戦争責任の割合を示している。講演で拝見した画像を記憶で再現したので多少のズレがあるかもしれませんが、おおむね妥当ではないでしょうか?

◆最後に、25年前の授業後の子供たち(小学校6年生)の感想文をいくつか紹介します。
久しぶりに読み返してなかなか感慨深いものがありました。
まだ日清・日露の授業はできていたけれど、満州事変以後の授業は、教科書と自分が書いたプリント「お話 満州事変」「お話 シナ事変」「お話 大東亜戦争」を読ませるくらいで、まともな授業はやれていなかった。
昭和の授業らしい授業の最初がこれだったのだが、それにしてはずいぶんまともな文章を書いてくれていました。
◆学習を終えて◆
■私は、日本も悪いことをしたけど連合国も悪いので、日本が一方的に責められるのはまちがっていると思う。確かに日本はルールを破りずるいこともしたけど、連合国の言うことは確かじゃないこともたくさんあると思う。それに、日本の弁護人の意見を全部出させなかったのは、すごく不公平だと思った。でも、インドの裁判官パルさんは、日本は無罪だといったのでびっくりした。パルさんの言ったとおり、連合国の日本への復しゅうも少しあったと思う。
■この三年半にもおよんだ東京裁判は不公平だと思った。実際の裁判の様子は見ていないけど、なんとなく想像できる。日本だけがルールを破ったわけではなく、アメリカなども破っているのに罰を受けないのはやっぱりおかしいと思う。それはやっぱり、インドのパルも言っていたけど、裁判官が連合国だから、復しゅうということだったんだと思う。日本も悪いが、アメリカもそれ以上に悪いと思った。
■この裁判は不平等裁判だと思った。日本も悪いかもしれない。でも連合国も悪い。なのにどうして日本だけが裁かれるんだろう。真珠湾の攻撃も、相手は攻撃してから手紙を出したと言っているけど、本当は手紙を出してから攻撃して、日本は悪くない。でも、日本も関係のない人を殺しているから、確実にこっちが正しいこっちが悪いというのは、中立の立場からは難しいと思う。きっと私がこの立場(中立)でも、どっちが正しいというのはできない。しかし、この裁判は連合国が検察官と裁判官で、日本を一方的に責めているから、裁判ではなく、不平等なだけだと思う。
■この裁判の結果を聞いてすごい不公平だなと思った。とくにアメリカの東京大空襲と原子爆弾はとても許されないことだと思ったのに、なんで日本だけ有罪になるのかなと思った。思えば第一次大戦のとき日本が提案した人種差別をなくそうと出したのも、アメリカにつぶされたから、もしかしたら始めからアメリカにねらわれたのかなと思った。インドの裁判官パルさんは、いい人だなと思った。
■私は日本だけが裁かれるのはおかしいと思った。日本だけが裁かれるのは少し不平等に感じた。やはり人種差別されているようにも感じた。肌に色がついているだけで、こんな大事な裁判でも差別されてしまうなんて、すごくくやしかった。インドのパルさんが言ったことを、日本の人たちが知らないなんてもったいないことだと思った。
■私は、東京裁判のやり方は不平等だと思った。連合国側はアメリカの意見ばかりをとり上げ、日本の意見は全然とり上げてくれなかった。なんか、裁判の結果は、裁判をしなくても決まっていたような気がする。でも、インドのパルだけは、日本の方が正しいと言ってくれた。こういう平等な見方をしてくれる人がいないと裁判は成り立たないと思った。でも、もし日本の意見がみとめられても、こういう裁判はなくなったと思う。日本にも悪いところがあったからだ。この戦争では、本当は両方が悪かったと思う。でも、アメリカのした方が被害が大きかったから、私はアメリカの方が悪いと思った。
■とてもすごい戦いだった。見てないけどなんか想像できる。けど、アメリカが悪いという気持ちは変わらない。日本が真珠湾攻撃したのは、アメリカが日本の貿易を止めてしまったからであり、アメリカが悪い。他の理くつも日本の意見でうめられる。しかも、アメリカは原子爆弾を落とし、東京大空襲までやった。国民を数十万人とまきぞえにしたのだ。これは信じられない。だいたいこの裁判は不利の下で行われた。裁判は正義という感じがしたけど、これは単なる、パルさんが言った「ふくしゅう」である。日本はこのふくしゅうでどうなったのであろうか? また、どうやってもう一度独立できたのだろう?
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