『名前詩集』(1995年8月8日刊 私家版)



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その年は歴史授業つくるために「自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)」を立ち上げた年でした。
それまではごく常識的な教師として楽しい授業・わかるできる授業をめざしていた。一般の教員とちょっとだけ違っていたのは月間『授業づくりネットワーク(藤岡信勝編集長)』(学事出版)の編集員をやっていたことくらい。

昨年の春、このころの教え子だった田口友香さん(旧姓)がこんなメールをくれたのですっかり忘れていた教師になりたての時代を思い出すことになった。

「齋藤先生 大成小学校卒業生の円谷友香(つむらやゆか)(旧姓田口)と申します。 齋藤先生に5・6年生の時、ご指導いただきました。 「よかったさがし」「はらっぱ文庫」「クラス通貨」…通学するのが楽しみで仕方なかったです。 ありがとうございました。齋藤先生のような先生になりたいと思い、よかったさがしで自信を持った書道、の先生になりました。雑誌「致知」でも先生のご活躍を喜んでいて、御本も拝読しました。 現在は、さいたま市の未来くる先生になって、学校で授業を行なっています!Facebookにも投稿しています。 そして、先生のことも、子供達に伝えています。
お友達申請をさせていただきます。よろしくお願いいたします。」


友香さんは円谷風香という著名な書道家になっていました、
「よかったさがし」はポリアンナのお話でクラスマネジメント、原っぱ文庫は保護者の応援による学級文庫、クラスマネーはだれかの実践をまねしたもの。教師としての力量がないから物珍しいことをいろいろやってつないでいた。

そのひとつが国語の「言葉遊び」の授業。専門がないので、勝手に自分は「国語の先生」だと思うことにして、いろんな試みをやっていたその一つ。授業の延長で、担任した子供たちの「名前」を借りてアクロスティック(日本では折句といいます)をつくっていた。子供にやらせるだけじゃダメだなと自分もやったわけです。

それが最後にこの『名前詩集』になった。
大宮市立○○○小学校の6年生の名前を借りて全員文をつくって遊んだのだった。
これからは歴史をやるとなると、こういう趣味的なことはたぶんやれなくなるんじゃないかと思って、最後にわが才能の記念碑(笑)を残そうと思ったわけだ。
たぶん、いまならこんなこともできないでしょう。教師の遊びですといってもいろいろとクレームが来るような気がします。子供の名前で遊ぶにしてはちょっと「危ない表現」もありましたから。けっこう異性愛を主題に選んでいたな。そのせいで女子児童から「どうして先生は私の今の気持ちを知っているんですか?!」と詰めよいられたこともありました。6年生もあんがい恋をしています。

ということでこれです。

  

私家版『名前詩集』は教科研の夏合宿「高野山大会」に持っていった。
そのために印刷製本してみた。50部くらいだったかな。自分としては国語の研究実践の一欠片のつもりだったが、残念ながら誰一人見向きもしなかった。残念!

たった一人だけこれを作品として評価してくれた人がいた。石川晋さんです。高野山の夜の宿坊で二人で酌み交わした時間がなつかしい。紆余曲折のトンデモ人生だったが自分なりの物語があって、そのもの語りがいま終わろうとしていた。たぶんまたもや異様に騒がしい時代に巻き込まれていくことになるだろう。本意ではないが運命はうけいれるほかない。その極私的な分水嶺にちょっとした思い入れがあったときに、たぶん初対面だった石川さんだけが寄り添ってくれたのだった(もちろん彼はおじさんの独りよがりな思いなんか知らない)。若き日の石川さんありがとう。

あの高野山大会では、授業づくり部会の分科会にはあまり顔を出さずに、『近現代史の授業改革』(明治図書)の創刊号を平積にして売っていた。激しいトーンの赤い表紙写真は、真珠湾攻撃で炎上して大きく傾いた戦艦アリゾナの大写しだった。大ぜいの教科研の先生方が遠巻きにしてヒソヒソしている様子がなんとも面白かったのを覚えている。

そこからは、歴史の授業づくりがわが人生の大テーマになった。そして16歳くらいから連続していた一つながりの物語が自分のなかで終わった。そのときの小さな遺品が『名前詩集』です。

言葉遊びが好きな方がいたら嬉しいです。回文ほど高度なモノじゃないですが、当時はそれなりに楽しんでいました。

1 くろさわまゆこ

2 とがしみつる   &   3 たかはしゆみこ

4 むらたしゆういち   &   5 かあいゆみこ

6 なかにししゆういち   &   7 なかむらちえみ   

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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