パワポ・スライド「命のバトンと国づくりのバトン」を一部修正しました



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修正したのは歴史入門の「命のバトンと国づくりのバトン」です。

この授業の命のバトンの話は、「縄文時代からずっと自分の先祖が日本列島のどこかで生きていた」というストーリーになっていました。それは弥生時代への変化は文化的なものが主であり人的な変化は少なかったという説に従ったからです。「弥生時代に大陸から渡ってきた人々は少ない」という立場から、この授業では「日本民族(日本列島人)」の始まりを縄文時代としたわけです

しかし、最近10年の古人類学や縄文から奈良時代までの古人骨にもとづく遺伝子研究の進歩によって、かなり具体的な事実がわかってきました。それによると現代日本人の遺伝子の由来が、縄文人の遺伝子が20%で弥生時代から古墳時代にかけて入ってきた大陸の人の遺伝子80%だとわかってきました。

われわれの先祖はどこから来たか?その他
(弥生時代と古墳時代のパーセンテージはまだ確定的とはいえないようですが、合わせて80%というのはほぼ確定してようです)

つまり、弥生時代から古墳時代にかけて、かなり大量な人々が大陸から日本列島に入ってきたのは間違いないようです。元からいた縄文人の人口のおよそ4倍もの人が大陸から入ってきたらしいのです。混血によって生まれた遺伝子の比率がそのまま、縄文人と大陸人の人口の違いと同じわけではありませんが、推測するための重要な手がかりではあります。大陸から入った人々が「支配層」を形成したので、遺伝子がより継承されやすかったという説もあります。

このような科学的な知見を歴史授業が採用しないわけにいきません。授業の内容を修正する必要があると考えました。

【注】これも重要なのでつけ加えますが、いわゆる異民族が縄文人を征服したわけではないということです。
   紀元前1000年くらいからゆっく時間をかけて縄文人と大陸人の混血がすすんでいきました。
   後漢帝国が滅亡してから300年続いたシナ大陸の戦乱時代に大量の難民が発生して入ってきた可能性があります
   す。そのころにはすでに縄文文化と大陸文化が総合されていて、平和的にこれらの難民を受け入れる下地ができ 
   ていたと考えることができます。そこから古墳時代の大和王権による統一国家が立ち上がってきます。

【修正の内容】
①✕縄文時代に「日本民族」が形成された → 〇今日ある私たち日本人の始まりは弥生・古墳時代から
②✕どの時代にも先祖はみな日本列島のどこかに生きていた → 〇それがほぼ確実に言えるのは弥生・古墳時代から

歴史入門の授業としての本旨は変わりません。

どの時代にも自分の先祖が生きていて、私たちにまで命のバトンと国づくりのバトンをつないでくれた。だからわたちが奇跡のように生まれて、いま日本という素晴らしい国の一員として生きられる! → 歴史が他人事ではなくなる

この「どの時代にも」というところを少し修正するわけです。
それは、私たちの先祖の大量の混血(縄文人と大陸人)が終わる「弥生・古墳時代」からということにします。
「現代日本人の起源」と「統一国家日本(大和国)の起源」がほぼ重なることになってきました。

では以下にスライドの修正部分を示しておきます。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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