国民の20%もが強く望んでいるということで、近々立法化されるそうです。
(賛成16%~25%、どちらかといえば賛成40~60%、だそうです)
いろいろな見方があるようですがその基本は「夫婦となった二人が希望すれば、夫と妻が別の姓になってもよい」という仕組みです。現在は一律に夫か妻の姓になりますので変わるのはその一点ですね。
現在の日本は「悪いことでなければなるべく自由にしよう」という社会になっていますので、希望しない人が希望する人の自由を奪うのはよくないという考えはよくわかります。与党も野党も「自由の尊重」を重視して立法化を進めているようです。
ぼくもそういう「考え方」は基本的には共感できるのですが、長く小中学校の教員をやってきた者として考えると、この新制度には反対せざるをえません。
その理由は、この制度の重大事はもう一つあって「親子別姓」ということです。別姓を選択した夫婦の子供は結果としてお父さんかお母さんどちらかの姓を持つことになります。どちらかとは別姓にならざるを得ません。
教師としてのこれまでの経験から、それは良くないと思います。
現在の日本の風俗・習慣・常識・家族観の現状からして、別姓を選んだ夫婦の子供の健康な自我形成が難しくなるだろうなと考えざるを得ないからです。
もちろんこれはぼくの主観ですので、「大丈夫だよ」という賛成側の主観より正しいと言えないでしょうが、すべての子供の健康な成長を考えて反対を主張します。
「夫婦別姓にしたい」というヒトの自由を奪うのは心苦しいのですが、ぼくはすべての日本の子供が「両親と同姓であってほしい」と考えています。「親子別姓でもいいんだ!」と親が決めたら、子はそれに従うべきだという考えにも賛成できません。夫婦は姓の自由を選べても子供は自由を選べません。
ちょっと話を広げます。
大東亜戦争敗戦後の日本は、まず国家観を育てる教育を否定しました。子供たちは80年間日本という共同体から切り離された教育を受けてきました。そのため民主主義に不可欠な「日本」を自分事として引き受ける主権者(国民)になれないできまいた。海外に出ると日本人は「根無し草」です。こうして日本人は国家という共同体を失いました。
高度経済成長で経済大国になったことはたいへん喜ばしいことでしたが、その結果、地域という共同体も消えていきました。若者にとって故郷は出ていく場所になり、地域もそこで育てられそこに所属する共同体ではなくなりました。
いま、選択的とはいえ、姓を同じくする家族という共同体が失われようとしています。まあ「姓は別でも愛し合えば家族」だというのは真理ではありますが、にもかかわらず、子供だからこそかたちも大事なのです。日本人の現在地ではそうだと思います。
子供の自我形成にとって「共同体への所属感(国・地域・家族)」はとても重要です。ぼくたちが歴史教育の改革に取り組んできたのは、子供たちに日本という素晴らしい国(共同体)のかけがえのない一員だという心を育てるためでした。そして、それは思った通りの結果を出しています。
「日本が好きになる!歴史全授業」を学んだ子供たちは、ご先祖様の命のバトンと国づくりのバトンを受け継ぎます。日本という国のかけがえのない一員であるという心が、自己肯定感をはぐくみ、自立心や向上心を生み出します。同じように家庭という共同体の一体感は子供たちの生きる糧です。「すべての子供たちがお父さんお母さんと同姓であってほしい」と願うものです。
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