令和7年(2025/乙巳きのとみ)4日です。長い冬眠が明けましたがわが身はまったく代わり映えしていません。
本年もどうぞよろしくお願いします。
今年から「歴史教育」にとらわれないでいろいろ書きたいことを書いていくことにします(これまでもそうでしたがもうちょっとのココロです)。
ブログに来ていただける方を増やしたい→もう少し新投稿を増やす→それは歴史授業関連だけではムリ→多少「看板に偽りあり」の投稿でもよいかな→できるだけ広い意味でつながる内容になればいいけれど。という感じです。
どうぞよろしくお願いします。
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ロシア・ウクライナ戦争について年末にちょっと書きました。世界をどう見るかなんですが、戦争が起きたとき「真実は何か」みたいな言論がけっこうありました。ぼくは歴史を見てきて「真実」なんてそうかんたんにわからんぞという立場です。
大事なのはそれが「(ぼくらに)意味するもの」だと考えています。日本国民としてとらえたいと考えています。
イスラエル・ハマス戦争についてはこう思っていました。テロに対する報復であると。
あれだけの挑発をされたら主権国家としては戦わざるを得ません。これ(戦争の理由)は国際法上正義なので国連もプーチンを叩くようにはイスラエルを叩かないわけです。
ハマスの実働部隊はガザにいて民衆を盾にしている。この報復はガザを攻めざるを得ない。そうなると「戦い方の国際法」がかかわってきて、その点ではだんだん微妙になっていきました。
これはいわゆる「新しい戦争」観もありより難しいです。
イスラエルはハマスをせん滅するという基本戦略は変えずにとことん行く姿勢を変えていません。これがまさかのアサド政権追放劇につながりました。びっくりしました。
今後の展開はまったくわかりませんが、シナ事変がちょっと頭をかすめます。「暴支膺懲」ならぬ「暴ハマス膺懲」でしたが、さらにハマス支持原理主義派ととことん戦うというところまでいくのは「シナは広すぎて終わらない」になりかねません。ガザの扱いが焦点だとは思いますが。
二つの現現在進行中の戦争はいろいろな意味で国連中心の国際法秩序にはてな?マークをつきつけています。
それが日本にとってどういう意味があるかはまだよくわかりません。
一番影響力が大きいのはウクライナ戦争の終わり方です。ウクライナ東部のロシア占領地がロシア領になれば、「わけがあれば他国領を戦争で獲ってもよい」「強ければとれる」という世界が始まります。これは帝国主義時代のルールです。それが公式の国際法になることはないでしょうが、結果的にそういう前例を国際社会が承認することになります。
これは日本にとってかなり厳しい状況です。
が、同時に「北方領土」や「竹島」を軍事的に取りにいかない理由が求められるようになります。北朝鮮に拉致されている日本人を軍事的に奪還しない理由も求められるようになるでしょう。
しかし現状の日本ではまったくもって夢まぼろしの世界です。
なのでどんな世界になろうとも、減税→経済成長→国家観の見直し→軍事力増強(自衛隊の軍隊化を含む)→アメリカの属国をしっかりやれるようにする・・・という第二の「富国強兵政策」を推進するほかはないと考えています。
遠い将来に「日本の自立」を夢見ていた明治維新時代に似てきました。ほんとうは80年前からそうだったんですが。そろそろ気づかなければなりません。
そのためには教育もそれに対応していかないとならないでしょう。こちらは現状ではまだ相当難しいです。
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