2日目
午前中はメイン・イベントの正倉院展。これについては本ブログに雑文を書いたので省略します。
午後はJR桜井線で桜井まで行きタクシー乗り場で観光をお願いしました。
リクエストしたのは南東から順番に
①第21代雄略天皇初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)伝承地
②第10代崇神天皇磯城瑞垣宮’(しきみずがきのみや)伝承地(古事記では師木瑞垣宮)
③第11代垂仁天皇巻向珠城宮伝承地(しきたまきおみや)(師木玉垣宮)
④大12代景行天皇巻向日代宮伝承地
桜井交通の運転手さん(梁井さん)がとてもいい方で、宮跡なんてあんまり行かないなあと言いながら調べてくれて、4か所全部とその他いろいろ(宮跡を訪ねながら途中にある遺跡など)も連れて行ってくれました。写真を交えてかんたんにお伝えします。
まず雄略天皇の初瀬朝倉の宮の伝承地です。これは3か所かあります。なぜここに来たかったかというと教科書に実在が間違いない天皇として最初に出てくる方だからです。わが埼玉県にも関係ありだしね。
・長谷寺の近くに十二柱神社があり、これは武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせなみきのみや)の伝承地ですが、その近く
に似ていますが十二神社というのがあり、こちらが雄略天皇の宮跡といわれていました。車は無理でかなり山を登る
ことになるので今回はパスしました。写真はネットでいただいたもの。
雄略天皇は日本書紀では大泊瀬(はつせ)幼武(わかたける)天皇です。奈良から伊勢に通ずる伊勢街道は大和川が削った谷を走っていて、この谷が古来「はつせ」とよばれいまは初瀬とよばれています。ですからこの谷沿いであるこてゃ間違いないのですがこんな山の上にあるのはあまりにもハテナ?です。あの巨大古墳を築いた仁徳天皇の孫で、倭王武であれば478年に宋の順帝に「使持節 都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」として朝鮮半島の支配権を認められた方です。また埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳出土の太刀に「ワカタケル」の銘が象嵌され、そこから大和王権の支配領域が九州から関東にまで及んでいたと考えられるその天皇です。
都としてはちょっと山奥すぎる感じがしてパスしました。まあ他の2か所も程度の差ではありますが。
・最初は、昔の伊勢街道と並行して国道が走っていてそれを西に戻ったところにある白山神社です。
ここに「雄略天皇初瀬朝倉の宮伝承地」という石碑が立っていました。実は地元の伝承ではもっと山にかかった
「天の森」というところらしいのですが、そこでは山の上すぎるということで、保田与重郎がここにしたという話があり、保田の碑もありました。
桜井市は現在もここを伝承地としているようで参道わきに観光案内板が設置してありました。
次にこの国道を画面左方向に桜井駅方向に戻って脇本遺跡(現在はコンビのの駐車場)と近くの春日神社をたずねた。この遺跡は40年前に知られていたが近年ここから5世紀後半の掘立て柱跡が出てきた。この神社のすぐ隣の小学校の体育館の床下でこれはそのまま保存されているらしい(見られないけど)。年代と規模から学界ではここを朝倉の宮跡と確定している。ここなら奈良盆地から初瀬谷に入ってすぐの入り口にあたり宮殿の地としてはいちばん納得感のある地でした。
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