11月29日(火)~31日(木)まで奈良に行ってきました。そうだ!正倉院に行こう ということで一人旅のはずだたが、ふだんはお友達との旅行が好きな房子さんがめずらしく「行く」と言い出して大旅行(というほどでもないがぼくにとってはw)になった。たちまち電車も宿も予約されて3日間行くところもびっしり決まってしまった。やれやれ
1日目
昼過ぎに近鉄奈良駅に到着。雨が降っていた。
まず興福寺を訪ねて宝物殿をゆっくり見た。ここはもう何度も見ていて好きな仏がたくさんいる。八部衆や十大弟子などなど。が今回はなぜか廃仏毀釈で破損してしまった部分ばかり見てしまって落ち着かなかった。
ほとんどが国宝や重文だけど、ここにはかろうじて残った(一部の破壊で)ものだけがあるのだ。日本神道の恥部である。それは明治日本の恥部でもあるのであんまり進んでは明らかにはされてこなかった。今修復中のあの素晴らしい五重の塔も売りに出されたが売れず薪になる寸前までいった。
失敗や恥部は、そうだからこそ真っ先に究明されて、後世のために糧とできるような自我の強さが日本人には求められているのだと思う。
美しくなった金堂や南円堂、北円堂も見た。ここには運慶の傑作「無著・世親」がいらっしゃるが年に一回しか開帳されません。お釈迦様の直弟子だがこの像はまぎれもなくインド人ではなくて日本人の顔です。肖像彫刻の世界レベルの傑作でもあります。
同行者は歩くのがとても速い。さっさかさっさか計画通り突き進む。ついていくのがやっとです。次は東大寺なんだが「ちょっとお茶にしよう」と頼んだら県庁隣のスタバに入った。彼女は紅茶、ぼくはキャラメルマキアート。あっちこっちで英語が聞こえるので見渡してみたら、日本人はぼくたちとあと一人だけだったのでびっくり。
左折して東大寺の参道に入り南大門から大仏殿へ。今回はいままであんまり見ていないものを見ようが隠れテーマだったので、蓮台の線刻や光背なんかばかりを見ていた。大仏殿の四天王は今回初めて見たような気がした。が、四天王の白眉は戒壇堂です!
八部衆や四天王は天部といいます。もともとは土着(バラモン・ヒンズー)の神様でお釈迦様に敵対していたのが、仏教の圧倒的な慈悲の力に感服して帰依することになった。それが天部で如来や菩薩を守るために戦います。阿修羅のあのちょっとびっくりしたような表情は帰依の瞬間なんだ、なんてわかったような話を昔聞いたことがあります。
仏教が日本に入ってきたとき、日本の神々は天部にまわされるところだったわけですが、そこをぐっとこらえて生き残りました。仏教導入のリーダーが聖徳太子だったおかげです。まあ本地垂迹説で「ほんとうは仏なんだけど、日本人にわかりやすいように神様の姿で降りてきたんだよ」とされましたけど。明治日本で日本の神として復興できたの天部にされなかったおかげです。これは日本の文化として重要だと思って聖徳太子の最初の授業「仏教伝来」をつくりました。あれはよかったね!
参道わきに西南の役の陸海軍人の碑というのをはじめてみました。
行ったことがないというので最後に二月堂に行きました。これは建築としてなんともいえない味わいがありますね。大仏殿の̪しびの向こうに奈良の街が見えます。修二会で有名ですね。
雨に濡れながら宿に帰りましたが道々鹿のなく声をあちこちで聞きました。木管楽器のリードを震わせたような、女性の悲鳴のようにも聞こえる不思議な声です。「奥山のもみぢ踏み分けなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」初めてではなかったけれど、こんなに浴びるほど聞いたのはあ初めてでした。
(つづく)
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