ということで第76回正倉院展に行ってきました。奈良国立博物館。
正倉院展は四日市に住んでいた時に同僚たちとドライブがてら来たことがあった。もう16年前くらいになります。そのときは行列が博物館の周りをぐるっとしていて入るまでに2時間くらいかかりました。桑名の津田学園中学校と小学校で歴史だけ教えていました。学園の職員研修の講師で3回(3年)呼んでもらううちに話がまとまったんだったな。理事長さんがたまたま『学校でまなびたい歴史』のファンだったご縁でした。
その次は令和になって今上の御即位を記念して国立博物館でやったことがありました。このときは蘭奢待とか例のラクダの五弦琵琶とか特別な出品が結構あった。すでに授業で正倉院を大きく扱うようになっていたので「勅封」の実物模型展示なんかも大喜びで見た記憶があります。
だから今年で3度目です。76回目とは驚きました。つまり正倉院展は敗戦後の日本人を元気づけるために始めたことだったのでしょうね。きっと。
今年はなぜか前の2回とは比較にならないくらい熱心に見てしまいました。なめるように(笑)。それでやっぱり超面白かったし、感動したし、あれこれ想って胸が熱くなることもありました。涙もろくなったのは加齢のせいですが、真実素晴らしいので、まだ一度も見たことないよ、という方はぜひお出かけください。新幹線で往復する価値はあります。
今月11日まで。
入場券が全部事前販売になり当日券はなくなりました。すべて入場時間指定になります。なので展示品の周りに二重三重、四重に人が群れて隙間から遠見でやっと見られた!という悲劇はなくなりました。これはコロナが残したたぶん唯一のよかったことです。
ちょっとだけ鑑賞してきたことをスケッチします。たぶん間違いがいっぱいあると思いますがご容赦ください。
まず東大寺献物帳(国家珍宝帳)という、光明皇后が最初に東大寺に納めたとき(聖武天皇の49日法要)の目録があります。以前は昔の字なんか読めそうもないからと素通りしたものですが、今回はゆっくり見ていきました。
わかるものもありました。見ていきながら「そうだ。この宝物は目録に書いてあるものがそのまま残っているんだ!」という声が下りてきて、1300年前の文字がこの宝物の古さを証明しているという事実に震えるような感動を覚えました。こんな古代のお宝と目録がセットで残っている例はたぶんここにしかないことでしょう。
次は聖武天皇や光明皇后の生活を彩っていた品々があります。
・なんといっても聖武天皇のひじおきですね。前に椅子を見たときも思ったんですが、こういう聖武天皇の身体が触れていたものを見るとある種の特別な感受があるのですね。聖武天皇のひじとかおしりとかの重みを日々感じていたモノですからね。なんだか皮膚感覚で伝わってくるものがありましたよ。今回はまったく同じに作った模造品(現代職人の傑作!)も隣に展示されていて、当時の色や意匠がよくわかりました。真菰を詰めてあって、ひじの当たるところには真綿でおおわれていました。
・いちばん目を引いた美術は屏風でした。鹿草木夾纈屏風(しかくさききょうけちのびょうぶ)がさっきの目録に書いてある名前です。図柄は上部に大きな木と鳥が描かれ、下部には草の花を食べている二頭の鹿が向かい合っています。これが完璧なシンメトリーです。布を半分に折って同じ図柄が染まる染め方でつくっています。ペルシャ当たりの起源の意匠だと書いてありました。心にしみる静かな音楽が鳴っているような色合いも素敵でした。お二人で眺めながら微笑みを交わしたのでしょうか。「こっちの鹿がきみで、こっちがぼくだよね💖」なんて。
・あとポスターになっていた七宝焼きの鏡ですね。金の縁取りのある緑の花弁が18枚。銀に七宝釉薬をかけて焼いたものを貼り付けたそうですが、これがもう昨日焼いたような鮮やかさでびっくりします。これが1300年!?。想像していたのより小さくて両掌に収まるくらいの大きさでした。箱もよかったな。
・ここまでは大陸文化で包み込まれているような朝廷の様子が目に浮かび、まさに文明開化の真っ最中というイメージでしたが、ここでガン!と「日本」を感じたのが黒い鞘と柄(つか)のまことに見事な直刀でした。刀についてはまったくわかりませんが、ガンときたのは鞘と柄の漆黒のかがやきでした。この華やかな文明開化の天平の世になるまでに、すでに数千年の伝統を持っていた日本漆が「おれだぜ!」うったえかけてきたのかもしれませんね。
(夜も更けてきたのでここまで。つづく)
コメント