日本は「天皇中心の国」という歴史をしっかり教えなきゃ!
と思ったのは、歴史授業をつくりながら日本の歴史を学んでみると、まさにそうとしか言えないとわかったからです。
また、日本は象徴天皇(君主)をいただく立憲制度を採用しており(憲法第一条)、この国を健全に運営するために、主権者たる国民には「天皇を敬愛する心」が欠かせないんじゃないかと考えたからです。
象徴としての天皇陛下を大切に思う気持ちですね。
そういう思いが確信に変わるころ、「文科省学習指導要領」社会6年に「天皇への理解と敬愛の念を深める」指導をしなさいということが書き込まれました(平成10年)。
ああ政府が考えていることも同じなんだなと自信を持ち、前に進むことができたのです。
けれども、待てど暮らせど教科書に「天皇への理解と敬愛の念を深める」という内容が書かれることはありませんでした。それは現在も同じです。
教育界ことに社会科業界では、建国神話や天皇の歴史を教え、子供たちに敬愛の念を育てることは、何かしら「よくないこと」だと考えられていました。その「常識」は現在も変わっていません。
そうした経緯で「日本が好きになる!歴史授業」では「子供たちに天皇への理解と敬愛の念を育てる」ことを課題としてきました。学習指導要領の主旨を達成することをめざしたのです。
これまで紹介した歴史授業を行い、教えることと、発問し考えさせ、話し合わせることを繰り返していけば、それが達成できるとわかったのです。
いま、追試授業でそれを検証している先生方が全国にいらっしゃいます。そういう事実を積み重ねながら、教育界と対話できる日を待っているところです。
「天皇についてあまり教えないほうが良い」
「天皇について国民は詳しく知らないほうがいい」
「天皇への敬愛の念を育てるのは危険だ」
「子供は天皇に関心を持たないほうが健全だ」
「日本は国民主権の国であり、天皇は象徴に過ぎないのだから」
と考えている、現在の教育界や社会科業界との対話を望んでいます。なかなか難しいでしょうが。
メディアは黙殺したままですから無理でしょうが、国民的な議論が湧き上がってくることも期待しています。
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さて、いよいよ頼朝の発問の話です。実はこれを考えたのが「天皇中心の国をどう教えるか?」という課題に取り組む「はじめの一歩」でした。
武士のための武士の政府をつくろう! あなたが源頼朝だったらどうしますか?
A 朝 廷(天皇)を滅ぼして、武士の政府をつくる。
B 朝 廷(天皇)に認めてもらって、武士の政府をつくる。
すでにおわかりと思いますが、これは(1)に書いた「大化の改新の授業」の発問(実力者の国か?天皇の国か?)とセットになっています。工夫したのは次の点です。
・大化改新では、実力者蘇我氏以外のリーダーたちの立場で「日本をどうするか?」と考えました。
あのときは中大兄皇子(皇室)と中臣鎌足が暗殺という強硬手段で、皇位をうかがう実力者蘇我氏を排除しました。(脱線しますが、子供たちの中には暗殺という手段で天皇の国が守られたことに疑問を持つ子もいます。)
・頼朝の場合は、子供たちは実力者の側に立って考えます。なぜなら、このときは朝廷(天皇・皇室・貴族)側にかつてのような実力者頼朝を暗殺したり滅ぼしたりする能力はないからです。こんどは滅ぼす能力は頼朝の側が持っています。国をどうするかについて決定権を持っているのは武士の側だと考えてこの発問になりました。(実際は西国の武士団は朝廷側であり、承久の変までは鎌倉幕府の実質は東国政権ですから、この発問の通りには行きません。しかし、歴史は大きな物語が大切です。)
歴史がAを選択すれば日本は、世界標準の普通の国になっていました。革命が起きる国です。
しかし、頼朝はBの道を行きます。
ここでも実際は、選択の余地なく頼朝はBだったのですが、この発問は「日本は世界の常識とは異なる独自の国になった」ことを学ぶための作為的な発問です。日本の国体の物語を学ぶために、世界との相違を学ぶために、こういう思考実験が欠かせないステップになると考えました。武士の権力も天皇は滅ぼさない!必ず「日本ってすげー!」となります。発問の意図は成功したと思います。追試した先生方のお考えを教えてください。
これまでの歴史教育にはこの発問が生まれる問題意識そのものがありませんでした。
ただ、問題はここまでの授業を積み重ねてくると、子供たちはほとんどみなBを選んでしまうということです。ここまでの学習で「日本は天皇の国」だという認識がほぼ共有されてしまいます。また、源氏が清和天皇の血筋を引いていることも知っています。などなど。
ただ、子供たちは意見は対立するから面白いし、よくわかることを学習してきています。また、二つの選択肢があることは両方に意味があるはずだと考えられる子もいます。それであえて少数派(になると予想できる)の立場を選ぶ子も出てきます。また「俺だったら家来よりテッペンになりたいぜ!」とマジで考える子もいます。
もし、意見分布を調べた段階でAがゼロだったら、子供たちに「Aの理由が考えられる人がいたらAの役をやってくれませんか?」と頼むこともあり得ます。または、教師がAの役をやってもいいでしょう。
ここでも、なんでそんな作為的な発問をしてまで子供たちに話し合わせるのか?という例の疑問が出るかもしれません。
頼朝は武力で朝廷を滅ぼせばできたかもしれないのに、そういう実力(武力)があるのに、それが中国や世界の常識なのに、頼朝はそうはしなかった! 天皇中心の国を守った!
その事実が身に染みて、感動とともにわかるのは、自分の意見を持ち、対立する意見をぶつけ合って深く考えたからなのです。その熱い経験がノーミソとハートに響くのです。さっさと先生から教わってしまってはそれがかないません。これも実際にやってみればわかります。
「武士も天皇を滅ぼさなかった国」という学びのインパクトは非常に大きいものがあります。子供たちはこの学習で、日本の歴史の重みを感動的に理解します。滅ぼせる武力を持った実力者も天皇の臣下としての分を守り、天皇を滅ぼさなかった国日本!おかげで日本は世界一古い国になり、いまも天皇陛下がいらっしゃる国として続いています。
(注)画像は伝頼朝像です。
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