渡邉尚久先生の歴史授業 N012「実力で中国に追いつこう!」



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【№12 実力でも中国に追いつこう】

(児童の振り返り)

太子は学者の研究の傍ら、遣隋使、遣唐使を送っていて、どうやったらそんなことができるんだと思った。

聖徳太子は国にも平民にもみんなに尊敬されていて、心の底から国のために働いたんだな~と思いました。うらやましいです。

国の政治を始めてから20年でこれほどまでの功績を残した聖徳太子、道半ばで亡くなってしまったというのはとても悲しいが、今の日本が形成されていったのは、聖徳太子の影響がとても大きく、日本に影響がとても大きく、日本に欠かせない人だと思う。そして「天皇」という言葉ができたというだけで「日本」が来たみたいな気になるからすごい!

聖徳太子がまだずっと生きていてほしかった。聖徳太子が生きているのならこの先の苦楽も超えていけると思いました。歴史が仰天することばかりで本当か疑うようなことが多い。急に隋が滅亡するのもどうにかして防げないのだろうか…。

聖徳太子は遣隋使や遣唐使を送り、国のために時代の流れについていこうとしていたことに努力を感じた。また、聖徳太子が亡くなった時は国民が深く悲しんだと知り、すごいなと思った。

今日の授業では、前まで頑張って書いていた「髄」があっけなく滅んで、別の「唐」という国になった時には驚いたし、日本がものすごく歴史が長いからこそ短さにビックリした。そんなに早く国がなくなったり、新しく別の国になったりするのが普通なのかもわかってきた。

今日の授業で一番驚いたのは隋があっさりと滅んだことだ。世界の中心と宣言していた国が滅亡して大陸は大変だなと思った。近いうちに船橋大神宮に行きたい。

釈迦三尊像から、聖徳太子がどれだけすごい人でみんなに慕われていたかがわかりました。そして、その聖徳太子のバトンを受け継いで新たな国づくりが始まるのが楽しみです。聖徳太子はすごいことをした人というだけでなく、とても人柄も良い人だったのかなと感じました。また、あれだけ大きな力を持っている隋でも滅びてしまって、とてもこわいなと思いました。日本も島国でなかったら、隋のように簡単に滅びていたのかなと思いました。

聖徳太子のすべての授業が終わった。とにかく、聖徳太子はスゴイ。今の国は本当に歴史上の人物誰一人欠けてはならない。だからこそ、私たちは歴史を学習して、次の世代につないでいかなければならないと思った。

聖徳太子の死後、国民は悲しんでいたことがよくわかった。聖徳太子は国づくりの土台を作ってくれたスーパーヒーロー。もっと長生きしてほしかった。法隆寺、行ったことがあるけど、なんか、空気が重かった。

遣隋使がなぜ終了したのか理由を聞いたら隋が滅亡したといっていてすごく衝撃を受け、びっくりした。隋、滅亡の3年後に太子が死んでしまってすごく悲しかった。

あまり船橋はすごいイメージがなかったけど、大神宮の書かれていることを知ると、本当はとんでもなくすごいんじゃないか!と思いました。昔の人はみんな聖徳太子が好きだったんだと思いました。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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