日本を含むG7諸国がいま陥っている危機的な状況は相似形だと考えています。どの国も「国民の物語」を否定してきたために国家共同体としての統合力を失っているのです。そのために立憲主義を支える国民の団結が失われてしまいました。どの国も「国民の物語」を失って国民のアイデンティティーは浮草のように漂っています。これは内側から国家を解体しようとする運動であると言えます。
日本とドイツは敗戦がいちばんの原因でした。
日本は敗戦とGHQの占領によって「国民の物語(皇国日本)」が解体されました。これを復興する動きは「反米」と連動せざるを得なかっためにつねに単純な「戦前回帰運動」に陥りました。それには抵抗のある国民の多くがGHQの意向の方を受け入れてきてしまったことにより、戦後79年間「国民の物語」は回復できないままです。
ドイツの場合は、ナチスによるユダヤ人虐殺運動が「国民の物語」を破壊しかけましたが、ドイツ人は「ナチスはドイツ国民とは別の狂人組織だった」と責任転嫁して乗り切ろうとしました。これが成功したかに見えましたが、ソ連崩壊と東西ドイツ統合がナチスの悪を再びドイツの悪に引き戻してしまいました。ドイツが「国民の物語」を失ったのはここからです。その後は他の欧米諸国(戦勝国)と同じ流れです。
欧米の戦勝国は各国とも「自由と民主主義」「個人・人権の尊重」「キリスト教」をベースにしたそれぞれの「国民の物語」は頑強でした。戦争に勝ち、その物語で戦後の国際秩序をつくったからです。しかし、ウイルソン主義・EU運動・共産主義化したリベラリズムなどが時間をかけて「国民の物語」を次第に誇れないものにしていきました。
その後、16世紀のカトリックの世界侵略の歴史と帝国主義国家の血塗られた歴史、有色人種は「人間」とは見ない人種差別の歴史が浮上します。それら「反省すべし」とする過激な理性主義が彼ら自身のアイデンティティーを破壊していきました。栄光の白色人種の「国民の物語」はいまや糞まみれになっています。「国民の物語の喪失」という意味では、彼らもいまや敗戦国(ドイツと日本)と同じような地位に陥っています。
やがて国内の移民の人口が急増して欧米は有色人種の国になっていく可能性があります。敗戦国ドイツもこれと同じ問題を抱えています。
つまり「国民の物語の喪失」問題は日本も欧米と共有しているのです。日本は有色人種の側(差別された側)から自立して「世界を支配する側」の一員になりましたので立場としては逆ですが、「国民の物語」を回復するという課題は共有しているのです。だからその一点で「彼らととも」にこの危機を乗り越えることが課題なのです。そのためにかつては矛盾した立場で苦悩した日本が重要なキーを握ると考えています。
これは現在最も重要な世界史的な課題だと考えます。われわれが危機を乗り越えるためにキーとなるのは、まさに「日本とは何か」という自己認識です。これは歴史をどう見るかに深くかかわっています。
現在G7の諸国では、「グローバリズムとナショナリズムが戦っている」という世界観が流行しています。日本でも多くの知識人や政治家がこの世界観で発言しています。しかし、ぼくはこの世界観では上記の問題は解決できないと考えています。グローバリズムとナショナリズムの定義があまりにもご都合主義的だからです。世界の出来事をどうとでも説明できてしまうところもあります。
この世界観に立つ言論人は、当初中国も「ナショナリズム」の側に入れて共感的でした。現在はこれに口をつぐんでいますがぼくはこの事実を忘れていません。こういういい加減さもとても気になります。
彼らはロシアのウクライナ侵略の際にはロシアに味方しました。ロシアが国際金融資本のグローバリズムに抵抗して「国家」を守ろうとしているのだと言いつのり、日本はロシアの側につくべし(あるいは中立)と主張しました。彼らはウクライナが「国家」を守ろうとしていることは認めませんでした。ウクライナはグローバリストの手先でありナチスだと言っていました。これはいまでは否定されているロシアのプロパガンダそのものでした。
彼らとぼくの違いは、たぶん「日本とは何か」という自己認識の間違いではないかと考えています。
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