2024渡邉尚久実践を記録する 1



日本史ランキング
クリックお願いします!別ウィンドウが開きます

今年も全国各地で「日本が好きになる!歴史全授業」の追試実践が行われています。なかでも注目は、本ブログおなじみの渡邉尚久(たかひさ)先生(船橋市立船橋小学校校長)です。校長先生自ら6年生の1クラスの公民・歴史授業を1年間実践されていらっしゃいます。たまにSNSにその片鱗を報告されているので、お許しをいただいてこちらにも転載させていただくことになりました。
どうぞ参考にしてください。

6/3
午後は6年1組での歴史授業開始。齋藤武夫実践の『命のバトン、国づくりのバトン』を授業する。
まず、6年社会のゴールを今一度確認し、授業に入る。
授業をしていてとても楽しかったし、私自身がワクワクしながら授業できていることがなによりだった。最後のハテナで答えてくれた児童はいわゆる勉強のできる子ではないが、齋藤武夫実践ではこのような子が活躍する。まさにそのような授業だった。
今日は振り返りを回収しなかったが、歴史が『我がこと』になったのではと思う。
何度も言うが、否定的な歴史を教えることは、子供たちを精神的に虐待しているのと同じこと。日本の子供たちに自信を育てるには肯定的な歴史を教えることしかないと思う。

6/7
3校時、6年生の歴史授業。「弥生時代」。
子供たちがいろいろな意見を出すので結局、45分いっぱいいっぱいの授業になってしまう。その後、担任に振り返りの時間をとっていただくよう、お願いすると、「あの子たちと授業すると、時間をもってかれるんです」というので、「そうそう!」と盛り上がる。いいことではあるが、時間には限りがあるので今後、さらに盛り上がってしまったらどうしようという贅沢な悩みが出てきそう。
ここまで3時間歴史の授業をしてきたが反応はすごい。
やはり、齋藤武夫先生の歴史の導入授業は秀逸。児童の振り返りを読むとやはり、この授業は、歴史を「我がこと」にする授業なのだと感じる。以下、児童の振り返りである。


「歴史が思っていたのと違ったのでこれからどんなことをやるのか楽しみになりました。先祖のお陰で今があることを知って、先祖に感謝しながら日々過ごしていかないとなと思いました」


「自分はすごいと思いました。命を大切にしようと思いました」

「僕は今日、日本の歴史を学ぶのかと思ったけど、命のバトンや国づくりのバトンを勉強してすごく感動した。僕は今まで歴史は暗記する強化だと思っていいたけど、今日の時間でその見方が変わっておもしろかった」

「日本は外国に征服されたことも滅びたこともないことを初めて知りました。日本の人口は徐々に増えていったんだと驚きました。先祖のお陰で日本という国があって外国に征服されたり滅びたりしないでいたのは先祖の人が守ってくれたから、日本の王様の血が途切れないでいたこともすごいし、日本は最古の国もすごいと思ったし、先祖がいなかったら私はいないからちゃんと歴史の勉強をしようと思いました」

「日本人はみんな親類ということが一番面白く、不思議で興味がわいた。通りすがりのおじさん、喧嘩したヤツ、幼馴染のあいつなどの人と同じ先祖なんだとわかった。まだ、父と母が会う、祖父と祖母が会う、こういう奇跡が重なって自分が生まれたということに感動した」

6/11
6年社会、以前は歴史が終わってから公民という順だったが、公民⇒歴史⇒公民となり、教科書と指導書のみの教材研究だと「日本」という国がますますわからなくなり、教わる子供もわけがわからなくなると思っている。歴史が嫌いな教員が教えたらなおさらだ。
なぜ、ここまで言い切れるかというと自分がそうだったから。(最後の6年生以外の4回の卒業生にはいつか土下座して心から謝りたい。)
だいたい、6年になっていきなり「日本国憲法」を教えることになっているが、これもそのまま教えるとよくわからなくなる。だから、服部剛先生にご指導をいただき、本質を踏まえた上で教えるようにしている。ここ数年やっているので、来年の2月頃、提案できると考えている。
解決策はだいぶ見えてきたものの、日本国憲法⇒政治(東日本大震災を取り上げた)が終わると歴史になる。
どう考えてもこの公民⇒歴史の流れはどうなのかと考えながら齋藤武夫先生の歴史授業を弥生時代まで追試してきた。齋藤武夫先生の歴史授業はもちろん、力があって子供たちも歴史の授業を楽しみにしてくれている。
日本の歴史教育はおかしなもので、考古学からいきなり文献史学に切り替わる。まず、これがなにより日本の歴史をわからなくする理由の一つである。
だから、この後、文献史学に切り替わることを見通し、子供たちには「今は考古学を元に歴史を教えているからね」と布石を打っている。
さて、この考古学から文献史学への切り替わりをどうわかりやすく教えるか。この数か月、ずっと考えてきたが、ここに来てようやく公民⇒歴史の順に並べた意味を見出すことができたような兆しが。
ただ、まだ、具体的な授業に落とせない。まだ、神様が降りてこない。もう少し考える必要がありそう。とはいうものの授業は待ってくれない。

(コメント)
服部剛
日本は神話から→歴史につながるユニークな国です。
我が国は天皇が幹で、国家社会、政治制度、宗教、伝統文化、慣習、年中行事などなどが枝葉となって彩りを与えてきました。
公民でやったことを思い出してみよう。
今でも天皇を幹として日本が成り立っていることを。
大災害の時でさえ、国民が大御宝の民として恥ずかしくない行動をすることを。
ほら、繋がった。
と、小生は尊皇で説きますな。

齋藤 武夫
失礼します。渡邉先生が何がわからないのかがよくわかりません。
神話を教えて考古学はやらずに大和朝廷に飛べば日本ははじめからずっと尊王だったという歴史になるかもしれません。が、それは実際とは違います。
戦前の皇国史観はそう教えてきましたが「日本が好きになる!歴史授業」は、ちょっと違います。神話を教える前に、天皇の国になる前の日本民族の歩みを考古学の成果で教えるのがよいという立場を取っています。
たくさんあった弥生のクニの一つだった天皇のクニが古墳時代大和時代に日本を統一しました。
その後も紆余曲折を経験しながら先人たちは天皇中心の国を選択してきた。そして今日があります。
そういう物語を採用したわけです。

服部剛
ご先祖さまたちは、そういう国のあり方を選択し続けてきたということですね。

齋藤 武夫
そうなんです。外れそうな危機もありましたがそれを乗り越えて来たのだと思います。天壌無窮の神勅と即位建都の詔があればそれでスーッと2000年の天皇の国が成ったわけではない。先人の努力で成った。その歩みを教えるのが歴史授業だ考えています。

齋藤 武夫
ここは本質的なところで、これまではあまり議論してきませんでした。たぶん意見は分かれると思っています。いまブログに連載しているのもその辺りに踏み込まなくちゃなと考えてのことでした。意見の違いを明らかにしながらまた前進して参りましょう。
どうぞ宜しくお願いします。

渡邉尚久
服部先生、齋藤先生、有難うございます。確かに、私の問題意識はこれだけではわかりにくいですよね(笑)。私が何を問題にしているのかわかりました。それは教科書の記述です。教科書の記述だけでは全く日本の本質がわからなくなるから、それをどう話をしてつなげようかと考えているだけなんです。もちろん、齋藤先生の授業の構成、つまり考古学を教え、聖徳太子に入る前に神話を教えるのは、本当に素晴らしいと思います。そのつなぎ目をさらにわかりやすく教えたいという衝動に駆られています(笑)。特に、天皇号⇒元号⇒国号という順に決まっていき、特に元号より天皇号が先に決まったことがどんな意味をもたらしたのかも押さえたいなあと考えています。

齋藤 武夫
よくわかりました。先生の今年の実践がかなり深まりそうでとても楽しみです!ありがとうございました。

6/13
2校時は歴史の授業「弥生時代の王たち」。
特にここで重要なのはこの時代、漢や魏というシナ王朝の国が「中華冊封体制」を敷いていて周辺国を子分としていたこと。そして、日本も例外ではなかったことを知らせた。そして、この頃、まだ、「日本」という国号ではなかったことも。では、いつ「日本」になったと思う?と予想だけさせておく。この後、卑弥呼も出てくるが、もともとこの人物については外国の文献をもとにしているので、そんなに強烈にインプットしなくていいと教えるとびっくりしていた。
そして、授業の最後。ここからはオリジナルの展開。
公民から歴史に入ったことで、普通なら素朴な疑問がわいてくるのではないかな、と投げかけた。本来、出てくるべき人物が出てこないって思わないの?って。すると、気づいた子がいた。
そう、「天皇」である。
公民の最初で「日本は天皇の国」であることを教えた。そして、現在の天皇陛下が126代ということは、125代、124代…とさかのぼっていくと、当然、初代がいるよね、と。本来、会社って創業者が1番大切なんだよね。ということは国を会社とたとえると、国にも創業者がいて、それが初代天皇になるよね、と。
「初代天皇って誰だっけ?」と尋ねるとすかさず「神武天皇!」と返ってくる。
では、「天皇」って教科書の最初に出てくるのはどこのページだろうかと投げかける。
実は最初に出てくる天皇の名前は仁徳天皇。第16代である。子供たちは当然、疑問に思う。今日は疑問に残しておいて終わり。
子供たちが気になって仕方がない状態にして終わる。
普通に教科書を教えているだけではこういうところにも気づけないだろう。
授業をすることで、齋藤武夫先生がそれこそ、20年以上も前に思考していた過程をたどっているなあという実感がある。平成16年度、学級担任をしていた時には全く気付かなかったことや思考していなかったことができている。少しは成長したかな。
皇国史観に基づく歴史授業でもなく、現在のような階級闘争史観に基づく歴史観でもなく、考古学と文献史学をバランスよく組み合わせた、日本の子供たちが学ぶべき歴史授業がそこにある。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

コメント

コメントする

目次