乙巳の変で蘇我宗本家は倒れました。実際に蘇我氏に皇位簒奪(易姓革命)の意思があったかどうかは確証はありませんが、授業は日本書紀の記述に従って教材化しました。中大兄皇子と中臣鎌足らによるクーデターが成功して「天皇中心の国」という聖徳太子の大方針(天壌無窮の神勅の継承)は守られました。
子供たちが主張したBの意見を日本の歴史は選択しました。ではAの主張をした子供は「間違った」のでしょうか?
「日本が好きになる!歴史授業」ではそうは考えません。Aに進む可能性もあったととらえます。もしそうなっていれば、そこで万世一系の天皇中心の国は終わり、易姓革命や王朝交代が続く「普通の国(グローバルスタンダード)」になりました。日本書紀はそうならないでよかったと考えていますが、授業ではどちらが正しくてどちらかが間違いという考え方をしません。両方に意味があり両方に進む可能性があったが、ぼくたちの先人はBを選んだんだね、という理解をします。禍福は糾える縄の如しは歴史にも当てはまると考えています。
その後、乙巳の変の意志は大化の改新・天智天皇・天武天皇・持統天皇と受け継がれて、天皇中心の国は律令制国家という形で完成しました。危機の時代の天皇中心の国は文字通り天皇親政・皇親政治で乗り切られていったようです。
その後、転換の可能性は幾度かあります。いちばん目立つのは道鏡問題でした。これは小中学校では学習内容としてかすりもしませんので授業はつくりませんでした。
(注)いま女性宮家の可能性が高まっていますが、道鏡問題は女性宮家問題とかぶります。天皇や上皇の血を引く女性が一般人(道鏡は高僧ですが一般人です)と婚姻関係になった場合、この男性をどうするかという問題であり、お二人のお子様に皇位継承権を認めるかという問題にもなります。日本の長い歴史はこの両方ともダメとしてきました。しかし、女系天皇を認めようという意見はこの両者について「認めよう」という立場です。政府案は女性宮家を設立しても配偶者は皇族にはなれないとしています。皇位継承問題は現在日本の喫緊の課題ですね。
次は平安時代の摂関政治です。この授業は現在の学問の状況を見るとちょっと不十分な内容です。いまなら、嵯峨天皇を教材化して「日本の立憲制」の確立として扱える可能性があります。政治権力を藤原氏に預けて、ここで天皇は国家の権威になりました。(今谷明『象徴天皇制の源流』など)
「日本が好きになる!歴史授業」では、上記の明確な転換を「源頼朝と鎌倉幕府」の授業で扱いました。武力を独占する勢力が日本を動かす実力勢力となったとき、武力を持たない天皇・朝廷はどうなるのかという問題です。
以下、ブログ「鎌倉時代」から引用します。
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【問題】みなさんが頼朝だったら次のどれを選びますか?
A:朝廷(天皇)を滅ぼし、新しい武士の政府をつくる。
B:朝廷(天皇)から政治を進めることを認めてもらい、新しい武士の政府をつくる。
『Aは実力で国をまったく新しく作り直してしまうやり方です。古い政権が武力によって打倒され、新しい政権が始まるのは、中国方式(易姓革命という)であり、世界のあらゆる国々の歴史に見られるやり方です。』
『Bは天皇に政治を行ってよいと認めていあただいた上で、貴族に替わって武士が政治を進めるという考えです。「天皇中心という国」の形は変えないやり方です』
『蘇我氏の時と決定的に違うのは、天皇・朝廷はそれ自身は武力を持っていないが、頼朝(関東武士)は武力を持ち、容易に朝廷を滅ぼすことが可能だという点です』
【解説】この授業の核心はこの政策選択発問です。
ノートに理由も書かせて、話し合わせます。
もし時間がなくなるようなら、以下の展開はプリントを渡し、さらっと解説して終わってかまいません。
ぜなら「大化の改新の授業」と同型のこの授業こそ、日本のアイデンティティーである「天皇中心の国」を学ぶ学習だからです。
(注)鎌倉幕府は源氏三代の時期はまだ東国政権であり、全国の統治権を得るのは承久の変に勝利した後ですが、カリキュラムと時間数の都合でそのあたりはあいまいな扱いになっています。
(つづく)
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