「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」4



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話があちこちしますが、もともとあんまり理論的なヒトではなく、現場で歩きながら考えるタイプ(帰納法的)です。筋道立ててまとめていくことが苦手です。文章が下手だということもありますが。

さて順序としては、まず幕末維新から明治の国づくりの授業をつくりながら古代・中世とつくっていくなかで、だんだんに「ああこれは皇国史観じゃないか!?」と気づいていきました。日本は天皇の国だと。わかっている人にはたぶん笑っちゃうような話なのですが、それが無学なぼくの1998年~2001年ころの話です。それで研究会で「シン皇国史観」みたいなことを提案して退けられた話は前にちょっと書きました。いまは当時の仲間も(「皇国史観」という言葉は使いませんが)、日本は「天皇の国」というのは当たり前の話になっています。仲間のみんながいつごろからそうなったのかはわかりません。

それでそのころから幕末から昭和初期・敗戦・戦後までの国体論(皇国史観)についても少し関心を持って勉強するようになりました。

そうやっているうちに引っかかることが出てきました。たしかに広い意味では皇国史観だけれども、「日本が好きになる!歴史授業」ではそのままは乗れない「イデオロギー」の部分に抵抗を感じるようになりました。
それをいくつか列挙してみます。

①南北朝の授業・・・後醍醐天皇ってそんなにえらいのか?楠木正成が正義で足利尊氏は悪でいいの?そもそも明治天皇って北朝の血筋じゃない!南朝の天皇が正統で北朝の天皇は閏統(?)なのか。

②戊辰戦争の授業・・・・奥羽列藩同盟の諸藩は朝敵=逆賊なのか?

③王政復古から文明開化の授業・・・廃仏毀釈には激しい違和感を持ちました。でもこれも昭和につながってきます。

④大正から昭和の授業・・・南北朝正閏論事件、天皇機関説事件、天皇機関説事件など

⑤戦後の授業・・・戦前の国体論からすれば日本国憲法の天皇制は国体の滅亡だったのか?いや、象徴天皇制こそ日本本来の伝統だったのではないか(天皇親政は本来の日本ではない)?

⑥その他・・・「天皇の権威は神話と神勅にもとづく」でよいのか。神話から教える歴史授業でよいのか(天皇以前を教えないで日本の歴史といえるのか)。中今という時間意識。からごころ(シナの漢字文明)抜きの日本などありえないだろう! 皇国史観のとらえ方の変化(中世没却から天皇武士関係の再評価)。朝鮮人が日本人になったときに替わったこと。日本人は生まれながらにして天皇の忠臣なのか?長い歴史の中で「天皇の国日本」を守る意志が働いたからか?「本来の日本」という無理(日本の根っこにシナ漢字文明が加わって「文明国」になり、さらに西洋文明が加わって「シン文明国」になった!その総合と背反の宿命を生きる日本!)

などなど。自分の中で問題になったところを列挙してみました。

広い意味で「天皇中心の国」という皇国史観に立ったとしても、幕末から明治までの「皇国史観」のようには歴史の授業をつくれそうもない。それでいいんじゃないかと考えて「日本が好きになる!歴史授業」になっていきました。本当はしっかり立ち止まって学問すべき重大事がいっぱいあったのですが、現場の状況はひっ迫しており、とにかく1セットの歴史授業を早くつくらなくちゃ!という思いで前に進んだ。
大雑把に言うとこうなった。

①歴史の中で対立が生まれ、戦いに勝った方が歴史をつくる。あるときは合意が形成されて歴史がつくられる。対立した双方が「よりよい日本」をめざしていたと考えよう。日本を滅ぼそうとしていた歴史人物はいないと考える。そういう歴史授業にするとしたら、「逆賊」を教えることはない。南北朝は朝廷が二つあり、天皇が二人いた危機の時代として教える。楠木正成と足利尊氏は等価であり、新政府軍と奥羽列藩同盟軍は等価である。ただし好き嫌いは学習者の自由だ。

②天皇の権威や天皇が2000年続いた理由について神話と神勅だけに頼らない。しかし建国神話や神勅の考え方は「日本人が信じてきたこと」として教える。だいじなのは実力を持った権力者が朝廷と天皇を守り続けて今日まで来た努力と考え方を教えること。結果としてそうなったがそれが先人の意志だったと。

③近代政治の立憲制はむしろ日本的な伝統そのものととらえなおす。権威と権力を分離した日本の知恵(倉山満氏によれば嵯峨天皇の頃確立した)は西洋近代の立憲君主制(権威としての君主と国民が選ぶ権力の分離)と並行的だったととらえる。現在の象徴天皇制もその系譜にある。(今谷明『象徴天皇の源流—権威と権力を分離した日本の王制)』)

④幕末から昭和に至る皇国史観に批判的な観点は持つが、先人が持った思想や対立や選択には最大限敬意を払える授業にする。日本が滅びるか生き残れるかという瀬戸際を必死に生きてきて日本を守ってくれた先人に共感できないような歴史授業では価値がない。ただ小中学校の授業では、こうした「思想的課題(国体論・皇国史観)」自体にまで踏み込むような授業は求められていない。

こんな感じの原則を立てて授業をつくってきました。

(つづく)

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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