1の最後の所で、「日本が好きになる!歴史全授業」は「日本は天皇の中心の国」という意味で、広い意味では「皇国史観」に立っているということを書きました。日本の歴史の独自性を(万世一系の)天皇にもとめる、天皇が歴史の中心の物語になっています。
しかし、一般に「皇国史観」という用語にはいくつかの狭義の意味合いがあり、それぞれの文脈に依存していると思われます。
第一は占領期の米軍が示したアンチ皇国史観の見方です。それは日本が「好戦的な侵略国になった」のは「日本が天皇の国だったから」であり「神道の国だったから」という否定的な見方です。
これは戦争の勝者のプロパガンダに過ぎず、そもそもの大東亜戦争のとらえ方自体がまちがっているのですから話になりませんが、戦後の日本人はずっとこのとらえ方に洗脳され・支配されてきました。それはあの悲惨な敗北に終わった戦争に対する「もうこりごりだ」という気持ちが背景にありました。また戦争に負けたのは国家の指導者たちが間違ったからではないかという疑念も後押しをしました。メディアや知識人の多くが自らの戦争責任を免罪しようとしてGHQの歴史観を支持してきたことも強い影響を与え続けました。特に教育界にはこれは暗黙のタブーとして長く残り、現在も学校で天皇や神道という日本の常識を健全に教えることをさまたげています。
ただ現在は国民の90%が天皇制を支持しており、日本が天皇の国だという見方にも肯定的になっています。「日本が好きになる!歴史授業」に教育界や社会科教育界からの批判はありますが、保護者や子供たちから抵抗を受けたことはありません。
第二は明治維新以来の日本の近代化のエートスとなった「皇国史観」です。
これは後期水戸学を淵源とする「国体論」にもとづく近代日本の国づくりから出てきます。皇国史観はいわば国体論の大衆化といえると思います。「皇国史観」という用語自体は昭和初期の文科省文書が初出らしいですが、ここでは「国体論」=「皇国史観」という感じでアバウトに使っています。
外圧によって近代化を急がなければならなかった日本には社会的諸関係の中で自生的に近代的な国民が生まれてくるというプロセスは望めませんでした。いわゆる上から近代的な国民を形成することを強いられました。そこで素晴らしい威力を発揮したのが「国体論」であり「皇国史観」でした。日本は2000年の天皇の伝統のおかげで近代化が成功したといえると思います。
(つづく)
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