1、神奈川県
2、1クラス。30人程度
3、9年目に実施(8年経験)
4、これまでに、2度6年生を担任、つまり、2度、歴史の授業をしました。
1度目の時の記憶は、ほとんどなく、唯一覚えているのは、教科書に別の参考書から転記した歴史裏話を書いた付箋をたくさん貼った教科書を子どもに見られ、「こんなにやってるのに…(面白くない)」と言われて、「これでできるようになれば苦労しないよ!」と言い返したこと。歴史の授業が辛かったです。
2度目のときが、齋藤先生に本がほしいとご連絡したときです。講座に誘っていただいて、勉強して、乗り越えられました。2度目の記憶はたくさんあって、命のバトンのこと、地域の道祖神のこと、歴史を長さで表して廊下にメジャーを張ったこと、古墳が使役ではなかったこと、神様と仏教を両方受け入れる懐の広さ、各時代のリーダーの知恵や勇気や判断力、何度も訪れていた国造り…日本人の素晴らしさ。
自分が感動したことを伝えたいと思いながら授業したので、拙い授業力でも、少なからず伝えられたのではないかと思います。
前置きが長くなりましたが、先生の授業を学んで行った歴史の授業では、
・子どもが、ご先祖様の授業から始まった歴史を、自分事として考えられていたことで、頭の上を言葉が過ぎていく歴史ではなかった。
・選択問題で、歴史がただの事実のオンパレードではなく、そこに迷いや葛藤があった結果の出来事としてとらえられるようになった。(賢い子ならこれから先の出来事も、そのように見られるのではないかと思います。)
・どの子も、選ぶことができるようになった。次第に理由も考えられるようになった。
・歴史が楽しいと言ってくれる子がいた。(最悪の1年目を思うと、劇的進化です!)
・これはたまたまかもしれませんが、当時のクラスから、公立中高一貫校へ受験をした2名が、2名とも合格した。グループ協議がある試験内容でした。
私自身の変化として…
●知識ではなく、感動を伝えたいと思いながら授業ができた。授業が楽しくなりました。
●選択問題で全員に立場と意見をもたせ、伝え合うことの大切さを知り、それ以降、学年が変わって歴史をしなくなっても、学級経営が劇的に変わりました。子どもも慕ってくれます。1人も残さない。全員で考える。当たり前のことですが、私はそれを齋藤先生の歴史の授業から学びました。
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