講座も当初の目標だった10年のファイナルSeasonになった。明後日の日曜日が第2回。一歩一歩ゴールに近づいてくるのが何とも言えない感じです。
ぼくの歴史授業研究は東京大学教育学部・本郷の小教室から始まった。当時東大教授だった藤岡信勝先生が一本釣りでメンバーを集めて「近現代史の読みなおしプリジェクト」という研究会がスタートした。1993年の春のことです。
藤岡、上原卓、杉本、小学校教師だった安達、佐藤、私と6人だったかな?藤岡さんが問題を提起し、文献を示し、論文を連載し…とすべてをこなし、私どもは必死でついていくという感じでした。
「課題は2つです。一つは歴史教育改革。もう一つは日本の教育に議論の文化を導入すること」藤岡さんの課題提起がその後の自分の人生を決めることになりました。
2年後の1995年に「自由主義史観研究会」という名前で会員を募集して次々と問題提起を始めていきました。
会の名称をめぐって藤岡さんが書いたのは次の言葉でした。
第一に健康なナショナリズムである。
第二にリアリズムである。
第三にあらゆるイデオロギー的なものから自由になろうとすることである。
第四に官僚主義批判である。
「自由主義史観」という言葉が成立する余地は、戦前戦後を通じて存在しなかったのかもしれない。社会主義体制の崩壊によってマルクス主義の評価に最終的な決着がついた今、自由主義の時代が日本の歴史上初めて到来しつつある。・・・・
30年たったいまもこのテーゼは自分の核にあり、指針でもあります。ぼくの歴史授業はこの指針によって探求されてきたものです。もちろんここでいう「自由主義」はいまの「リベラリズム」ではなく「本来のリベラリズム」のことです。
そして「自由主義」は30年後の現在もぼくたち日本及び日本人にとって「ひょっとしたら不可能かもしれない」くらいの巨大なテーマであり続けています。
なんだか気分で書き始めたらこんな展開になってしまい吃驚している。(つづく)
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