大事なことわざとヘーゲルの一行(大宮第三公園日記15)



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一週目の途中で降られてしまった。悔しいがそのままノルマを歩いた。この雲を見て止めておけばよかったんだ。しかし最終回で上がったから〆て良しになった。

やっちまったら反省しないのが正しい。

ことわざで日本の論理を教える実践が好きだった。庄司さんという仮説の先生です。柳田国男の研究も面白かったと思ったが、今回の断捨離では庄司さんの本は出てこなかった。ずいぶん前に捨てていたんだな。

禍福は糾える縄の如し

というのがことわざでは一番です。

うんと悪いことの裏側にはうんといいことが張り付いていて、うんといいことの裏側にはうんと悪いことが張り付いている。

ほどほどにはほどほどの禍福があり、どちらでもないことには禍福はない。

74年生きてきてまったくその通りだと思う。

ついでに連想したのは、ヘーゲルの『精神現象学』で一番電流が走った一節。

存在するものは(すべて)合理的である

この世にあるすべては「ちゃんとわけがあってそこにある」ということです。

自分の存在を否定するような存在も、自分の考えを否定するような言説も、すべて「ちゃんとわけがあってそこにある」。

なぜかこの本が気に入ってしまって、25歳までに2回読んだが、いちばんの収穫はこのたった一行でした。

しかしこの一行がその後のぼくの人生と思考を支えている。

活字中毒にもあなどれないものがあるということです。

マルクスやヘーゲルに遭遇して、いまにしていちばん有益だったのは「弁証法」だったと思います。これはいまも自分を支えているんじゃないかな。発想の手がかりです。

三浦つとむも板倉聖宜も「弁証法」つながりだった。

最後にぼくにはめずらしいおのろけをひとかたまり。

もう50年以上一緒に暮らしている妻が、つい最近、何かの拍子に、こんなことを言った。

「あんたと一緒になっても、ご利益は何もなかったけれど、なんだかジェットコースターに乗っているみたいで、ホント飽きなかったよ」

ふ。我が人生無駄ではなかったなあということで(笑)

雲、草の画像のようです
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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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