今朝は風が強く吹いていました。南方にいる台風と関係しているのかな?日照りが続いて池の水が干上がったらずいぶん泥が溜まっていた。この間の大雨のせいなのか?この泥をさらわないと困ったことになるかもしれないね。
藤岡先生が毎月やっている講座で、縄文は文明とは呼ばない方が良いと仰っていた。賛成です。
縄文は素晴らしい文化複合ですが、縄文文明とは言いたくない。文明とは何よりも国家であり文字であり学問であり組織された暴力(軍と戦争)であり階級格差だからです。これはまさに非縄文でしょ。
文明の対語は野蛮と未開ですが、これは西洋の近代的な世界観です。それにとらわれると縄文は未開でも野蛮でもないと言いたくなって、縄文文明が出てきます。しかしそれは間違いだと思います。
縄文のような前文明の文化複合は上記の文明段階の文化とは相容れない特質があります。それは人間が大自然の一部として生きていた時代の極めて完成度の高い文化なのです。逆に文明とは、人間が自然の外に出て、自然の支配者となって、自然をコントロールし始めた時代の文化複合です。そしてそこから現代までは一直線です。
縄文の価値を大切にするためには縄文文明とは呼ばない方がよいのですね。西洋文明が文明こそが人間の真の野蛮の扉を開いたのでは?と気づき始めたのはだいぶ後になってからです。
人類史を大きく分けるとしたら、文明以前と文明以後ということになります。わが国も1万3000年の長い縄文時代の後、文明を受け入れ国家形成に跳躍し、たった2000年で現代を迎えました。文明は超スピードな変化の時代でもありました。
だからといって、自然の一部として生きた縄文が素晴らしく、自然を支配してきた文明時代はダメだみたいな一面的な見方は妄想です。
もう後戻りはできずこの運命を受け入れて生きていくほかはありません。地球上から人の手の入らない自然はもうすぐなくなり、テクノロジーが作りだす第二の自然(落合さんのITネイチャー)とのお付き合いが始まったところです。これもまた面白そうじゃないですか?
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