だんだん朝も暑くなってきました。そのせいか今朝はいつものランナーたちが一人も見えず。ちびっこのサッカー練習がはじまっています。夏休みですね。
前は歩いているときにヘッドホンで音楽や動画を聞いていましたが、公園に来るようになってやめました。それがないとなんだかオートマチックな思考が始まることが分かったからです。まあ思考というほど大したものではないけれど、心内言語の自動記述?みたいなものですかね。画像のない夢みたいな感じです。過去のいろいろなことが思い出されて、それがきっかけにああでもないこうでもないと始まり、突然関係のない別のことに切り替わったり・・・。自分でコントロールできない感じが夢に似ています。
そのほんの一部を取り上げてしばらく前から大宮第三公園日記をやっています。まあ毎日ではないけど面白いのでやっています。きのうはなぜか板倉聖宣さんが出てきたので、書いたら少し反響がありました。ちょっと楽しい。
それで今日は『未来の科学教育』を引っ張り出してきて50年ぶりに読み始めてしまった。そうしたら最初の4年生の仮設実験授業「ものとその重さ」がむかし作った他教科の授業やいまやっている歴史授業の原型だとわかってビックリです。
「ものとその重さ」の最初の問題はこうです。
【問題1】
みなさんは身体けんさで体重をはかったことがありますね。そのとき、はかりの上に両足で立つのと、片足で立つのと、しゃがんでふんばったときとでは、重さはどうなるでしょう?
ア 両足で立っているときがいちばん重くなる。
イ 片足で立っているときがいちばん重くなる。
ウ しゃがんでふんばったときがいちばん重い。
エ どれもみな同じでかわらない。
あなたの予想に〇をつけなさい。
これで子供たちに〇をつけさせて(おしゃべりはなし)挙手で人数分布を取り黒板に書くとこうなりました。
ア・・・4人
イ・・・11人
ウ・・・21人
エ・・・7人
普段のお勉強の出来具合とはまったく別で優等生の意見も分散しています。
そのうえでそれぞれの理由を発表させています。なるほどです。「なんとなく」も立派な理由ですなんて自分で発明してやっていたつもりでしたが、なんとなんと。それもこの本に書いてあるじゃないですか!ムム。
話し合いの中で意見を変える子も認めます。
そうしたのちにどうするのか?これが仮設実験授業のキモですが、子供たち自身に実験をさせて確かめます。もちろん結果はエで、たった7人の正解に大興奮になりました。
こういう面白い問題が考え抜かれた順番で出てきて、そのたびに、子供各自が全員自分なりの仮説を立てて、議論し、しかる後に自然の厳然たる真実と向き合う。という繰り返しを進めるなかで子供たちはおのずから重さについての自然法則を理解していくという設計です。先生が直接真実を授けたりはしないのですね。
「日本が好きになる!歴史授業」とはいろいろと違う点(選択肢は2つが基本。歴史は実験できないなど)がありますが、教育と授業についての基本的な考え方は板倉先生から激しく学んでいることが分かります。(仮説の先生方はぼくが板倉先生の弟子だなんて認めないでしょうけれど)。
今日はここまで。
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