臨時採用や講師を含めると30年ほど教員をやった。
正直なことを言うと学級の半分くらいは義務教育以後の高等教育を受けて座学を続けるよりももっと向いている学習があると思っていた。
普通高校に行っても中身のない生徒がたくさんいるだろう。ま、18歳くらいまでは無駄をしても遊んでいても、それはそれである種の学習という面もあるだろう。
しかし大学はどうなんだ?
大学生にふさわしい大学生がどれくらいいるだろうか。
大学と呼ぶに値する大学がどれくらいあるのだろうか。
彼ら彼女らは机に向かって言葉や文字や数字なんかとなんちゃらするよりも、身体や手先を動かして世の中の役に立つ仕事を学んだ方がどれほど幸福だろうと思っていた。
実際にそういう選択をする16歳もいることを知っている。
たまにそういう若者を見ると心躍る思いがする。
それはまことに少数だが彼らこそ選ばれた人だと思う。
だが今の世の仕組みが彼らの生き方に報いるものになっているのかはよくわからない。
もともとわが国は、百姓や職人を尊敬する文化を持っていたはずだった。そして、この仕事が失われたら人類の損失ではないかと言えるほどの優れたアーツが、わが国にはまだまだたくさんあるような気がする。それらが跡継ぎのないまま失われていくのは寂しい。
ここまで書いて、あそうだと気がついた(笑)。
そういうぼく自身高校に行って数学や物理がホントに分からなくなった口なのに、運動能力も体力も手先の器用さもないので大学に進んだが、ちょうど世界学生騒乱の年にまきこまれて1年余で中退してしまった。最後は「口先〈ことば〉でする仕事」(アラン)に就いたんだから、あまり説得力はありませんが。
あと数年で、机に座ってPCに触ったりしているホワイトカラーはほとんどいらなくなるというのは本当らしいです。
(5年前にFacebookに投稿したものを一部修正しました)
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