今朝は少し寝坊しました。昨夜なかなか寝つけないでぐずぐずとダニエル・シルヴァを読んでしまったせいです。もともと自分を規律できないたちな上にここ10年サンデー毎日!になったせいです。仕方ないことです😅
聞いたことがなかったが、神儒習合というのが幕末の儒者の流行だったらしい。山崎闇斎などのことらしい。
たぶん国学が出てきてそもそも日本とは何か?ということが大きなテーマになったとき、日本を仕切ってきた儒学は俺たちは実は外来思想の徒だったのかと気づいたはずです。
国学の徒のように神道が全てならわかりやすかったが、そうはならず神儒習合になった。
一つは仏教は西戎(西の野蛮人)の外来思想だが儒学は外来とはいえ中華だぜ、というよくわからない自信があった。
もう一つは、もともと神道に経典も教学もなく、いまある何ちゃら神道という理屈はみな儒学に依拠した神儒習合ではないかという思いがあった。
仏教も儒学もキリスト教も近代科学も普遍思想であり民族の垣根を超えて伝播する思想です。しかしわがヤマト文化はどうやらそういう文明の図々しさを嫌った節がある。文明以前の価値を大事にしてきたからだろう。
自分のところから普遍思想を伝播させるかわりに習合という戦略を採った。聖徳太子以来それを自覚的にやり、律令国家日本も近代国家日本も比喩的に言えば習合国家になった。
いいとか悪いとかではなく宿命であり今も変わらない。宿命は大文字で肯定するのが正しいと思う。
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