月経を勉強してみた話



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NHKスペシャルで「月経」の勉強をした。
知らないことが多かったので間違いがあると思うが記録しておく。
1 月経は個人差はあるが相当つらい
 強い腹痛、強い腰痛、強い眠気、異常な食欲、心的な強い不調(イライラなど)等々。
 タレントの井上咲楽さんが出ていたが驚くような苦しさで、あんあことの中で仕事をしていること自体が虐待じゃないかと思えるほどだった。
 ただ個人差があり女性の80%が女性同士でも相談しにくいらしい。誰もが我慢しているのに自分が苦しい苦しいというのは甘えじゃないかとか。また男性だけでなく女性からも「生理を口実にサボるな」と言われるとか。
2 現代の女性は一生に450回の月経を経験する
 伝統的社会(戦前の農村)では現代の先進国の月経は一生に50回程度だった。この数十年で一気に9倍になった。産婦人科医は「人類的な異常事態」とよんだ。
 え-っ!?と思ったがこういうことらしい。
 ぼくの祖父の時代(明治35年生)もそうだが農村の女性は5~8回出産をした。1950年でも3人産むくらいが通常だった。1980年頃、日本の男女別人口グラフが簡単な三角形になった。成人するまでに生まれた子の半数近くが感染症等で死んでいたからだ。
 伝統社会の初産は18歳~23歳で30歳には最後の子が生まれた。妊娠してから授乳する2年半は月経は来ない。だから20代はわずかな年数しか月経はない。そして40代の始めくらいに月経は終わっていた。しかも初潮は15歳くらいだったようだ。これで数えると50回になるという。
 現代はどうか。初潮の平均は12歳。閉経は51歳。出産は平均1回。初産は30代になっている。ここから450回という数字になる。さっきの井上さんもあと20数年も毎月こうなるのかと思うと途方に暮れると話していた。
 月経による不調は1ヶ月に1週間と考えていたがそうではなく、月経が終わって子宮内膜が再び厚くなる1週間が好調で排卵後からはもう不調の始まりで、その日になると下腹部に激痛が走り・・・という繰り返しだと言っていた。
3 月経のいろいろ
 月経は子宮内膜が体外に流れ落ちる現象を言う。大量の出血がある。それはふだん1mmの厚さの膜が10倍以上の厚さになり大量の血液を含んでいるから。出血というが実際は子宮内膜の大量の細胞が破壊されていることになる。
 子宮内膜が厚くなるのは受精卵を育てるマットのになるからだ。なぜ厚くなったのかというと、胎盤から出てくる母胎から栄養を取るための血管の枝が子宮を突き破って母胎が傷つくのを防ぐためだったらしい。赤ちゃんの命を育てかつ母胎を守るために子宮内膜を厚くするという進化の戦略だった。
 受精した卵子が子宮に降りてくると厚い子宮内膜の表面に無数の手が現れて子宮をチェックし異常がなければマットの内側に取り込まれやがて細胞分裂が始まる。その手にはセンサーがついていて受精卵に異常がないか遺伝子レベルまでの検査が行われる。たとえば細胞分裂できない卵子など異常がある場合はマットに取り込まれない。いわゆる流産となる。不思議だね。
 そうだ。父親の遺伝子の働きもある。子宮で育っていく赤ちゃんは胎盤を通じて母胎から栄養分を受け取る。赤ちゃんを成長させるために母胎から栄養分をたくさん受け取る力に父親からもらった遺伝子が大きな働きをしているらしい。赤ちゃんが立派に生まれてくれないと父親の遺伝子も生きられないからだ。
 ところでほ乳類5000種のうち、月経があるのはヒトをふくむ霊長類とコウモリの一部など8%くらいだということです。
4 月経と穢れ
 戦後直ぐくらいまで日本の農村(すべてではない)には月経小屋があった。月経になった女性は期間中は村から離れてこの小屋で生活する。穢れを遠ざけるためだった。
 月経を汚れとして忌避するようになったのはいつ頃からだろうか?
 古事記のヤマトタケルがミヤズヒメの衣に血がついているのを見て「おや月経になったんだね」と歌いかけると場面があるそうだ。国文学者は、その自然であっけらかんとした言葉遣いから、古い時代は月経をかがれとして忌避することはなかったろ見ている。
 平安時代の貞観式に、初めて儀式には女性を入れない・政治には女性を入れないとい決まりが出てくるそうだ。平安貴族の霊的な時代が月経を穢れととらえる慣わし始まりらしい。
 そういえば女人禁制の山は山岳宗教(密教+神道)にみられころげ隆盛になるのは平安時代ですね。土俵に女性は上がれないというのもあり、土俵は神々を鎮める神域だからというのもあった。
 ここ数年のぼくのテーマは「伝統とは何か?」「日本文明とは何か?」という問題です。
 それはぼくたちのアイデンティティーの真実を探求していかないと、次の日本が生まれないような気がしているから。
 A まず気の遠くなるような民族の形成期に生まれたものがある。
 B 中国の漢字文明が入ってきて、「A」と融合し江戸時代までの日本文明の形成期がある。
 C 最後に西洋近代文明が入ってきて「A×B」の日本文明と融合した近現代の日本文化がある。
 ぼくはいま自分が「保守」かどうかわからなくなってきた。保守とは伝統を保守する立場だが、
この「伝統」とは何かがよくわかっていないからだ。
「それはいつからの伝統だろうか?」「それが日本なのだろうか?」
 女を土俵に上げるな伝統を保守するためだ。
 女が土俵に上がってもかまわない。それが土俵以前の日本の伝統ではないか。
等々。
 しかしらっきょうの皮をむいていったら最後は何も残らなかったという話にはしたくない。
 だから歴史の中で考えることが必要なんだな。たぶん。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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