8月は昨日で終わりましたが、広める会主催の「日本が好きになる歴史授業講座」は2回やりました。
第1日曜が教師向けで第3日曜が一般向けです。これが第5回です。
どちらも30人ほどののご参加をいただきました。毎回初めての参加者は数名で他はみな熱心なリピーターです。
今回は「日本文明の形成」と題して日本の歴史第3章18時間分走り抜けました。平安・鎌倉・南北朝・室町・戦国・安土桃山・江戸までです。歴史好きの多くはこの時代のとりわけ武士の時代がお好きな方が多いのですが、「日本が好きになる!歴史授業」は自我形成期の歴史教育ということで、第2章と第4章の「国家形成時代」を重視しています。
さて今回の大きなテーマは「天皇」と「日本の国柄」でした。
もちろん「第2章 古代日本の国づくり」で重要な布石は打ってきましたのでその既習事項をもとにそれを理解していきます。
1 摂関政治・・・天皇は「祈りと文化」を担い国家共同体の権威になり、政治権力は「時の実力者」に預ける(任命)かたちがほぼ定着した。もちろん天皇専制(親政)は天智・天武など例外的的だったが、この時代になって天皇親政は明確に「本来のかたち」ではなくなった。
これを倉山満氏は「日本における立憲君主制の成立」であるとして、英国よりも日本文明の方が数百年早いとしている。この場合、日本における憲法とは古墳時代以来の慣習法(不文)と大宝律令(養老)ということになる。最も重要なのは皇室が権力(武力に裏付けられた)から距離を置き、「共同体を一つにまとめる権威」になったことである。
日本文明が世界に唯一の一国一文明である理由がここにある。
2 鎌倉幕府・・・頼朝は武家の政府を打ち立てるために実力で国家を乗っ取ることをせず、天皇から征夷大将軍に任命していただいて、その権威の下に鎌倉幕府を開いた。前の「立憲君主制」を守るためである。この決断を後の北条氏、足利氏、豊臣氏、徳川氏もみな踏襲して幕府の統治を行った。
3 承久の変・・・これは朝廷(西日本政府)が幕府に戦争を仕掛けた事件であり、武家政権は朝廷と戦ってこれを滅ぼし北条氏の政府を樹立しても状況的には名分が立ったかもしれないレアなケースだった。しかし北条氏は太古からの憲法にのっとって処理した。天皇の下に鎌倉幕府の権力を置き全国を統治する政府になった。承久の変の北条氏も日本の立憲君主制を守ったのである。
4 日本文明の国のかたち
(権威)天皇・・・公民(おおみたから)と国家の平安を祈り、時の実力者の権力を認証する。
(権力)政府・・・朝廷・幕府、内閣と政体は変わったが、天皇に認証されて権力を得る。
(目的)公民・・・神武天皇は建国の詔で「天皇の統治は国民の平安が目的である」と述べている。
これが日本の不文憲法の原点にある。
5 日本文明の奇跡
たとえば、正倉院には天応の勅封がされている。簡単な錠前に麻縄が巻いてあり和紙で天応が封をした旨書かれている。それだけの木造の倉庫の中に1200年前の膨大な宝物が目録通り収められている。
保存状態もすこぶるよい。時の権力者は全員この膨大な宝物を奪い私物化することはなかった。これは世界のどんな文明でも起こりえないことである(こそ泥が3回侵入したそうです)。これが正倉院の奇跡です。
また8世紀のアンソロジー『万葉集』には天皇・貴族・農民・兵士の作品が男女の差別もなく収められている。これを渡部昇一は「和歌の前の平等」とよんだ。
こうした日本文明の独自性を子供達が知り感動することは彼等の自我形成を豊で肯定的なものにします。国際化教育とはいまの根無し草の子供達に根っこを育てることです。
子供達が将来、「正倉院の奇跡」や「和歌の前の平等」という事実を世界の人々に淡々と当たり前のこととして語る姿を想像してみましょう。嬉しくないですか。
日本はすごいんだぞ!などと力んだり自慢したりしてはいけません。
多様性を受け入れるのが素晴らしいのは、受け入れた多様性から良いものを学び合えるからだ、と教えていきましょう。
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